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ダバディだけが知る本当の「ハリル」。
“鬼才”前日本代表監督との3年間。
posted2018/04/16 10:30
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph by
Florent Dabadie
ハリルホジッチ監督が解任された。
田嶋会長の会見を聞いた。
東京五輪を見込んで、全員日本人で団結したかったということでしょうか。21世紀にしてその発想とは、虚しい。悔しい。
私は、単一民族主義は間違っていると思う。理性を働かせて理解することはできるが、必ず失敗することも知っているから。
ハリルさんが育った旧ユーゴスラビアの黄金期は、すくなくともスポーツや文化において、あらゆる民族、宗教、文化が混ざり合った'80年代だった。彼の母国であるボスニアで開かれた'84年のサラエボ五輪はその象徴だった。
サッカーでも、マラドーナのアルゼンチンを追い詰めたオシム監督のユーゴスラビア代表は人種のるつぼだった。ハリルさん自身も異なる民族の血を引き、国際結婚をし、異国(フランス)で自分の子供たちを育てたのだ。
だからコスモポリタンなハリルさんが日本代表の監督になった時、とても嬉しかった。日本サッカーが変わる、その確信があったのだ。
低いピッチの声、威厳のある言葉遣い……。
私が初めてハリルホジッチ監督と話をしたのは、3年前の夏だった。
フランス国籍も持っている彼に、在日フランス大使館からある依頼があったのだ。そこで、フランスのサッカー記者から教えてもらった彼の携帯電話にかけると、一発で出てくれた。
「アロー(もしもし)?」
低いピッチの声、威厳のある言葉遣いを未だに覚えている。なにより、フランスとフランス人に対する愛情をすぐに感じた。
当時の在日フランス大使には、2015年11月にパリで行われる「第21回気候変動枠組条約締約国会議」(COP 21)を日本でPRするための、知名度ある親善大使が必要だった。ハリルさんは依頼を迷わず受けてくれた。