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ダバディだけが知る本当の「ハリル」。
“鬼才”前日本代表監督との3年間。
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph byFlorent Dabadie
posted2018/04/16 10:30
お互いを深く理解し合うようになったキッカケの大会、EURO2016の会場にて。
フランスという国に義理堅かったハリルさん。
彼にとって、フランスは3度も恩を受けた国だ。
'80年代には旧ソ連ブロックから脱出するチャンスを与えてくれたフランスの名門FCナントの恩を受けた。
'90年代には旧ユーゴスラビア紛争中に、またも彼と彼の家族に手を差し伸べたフランス2部リーグのボーヴェの恩を受けた。フランス国籍も取得した。その後、リールやパリ・サンジェルマンで監督として活躍し(現役時代にもフランスサッカー界のエースだったことがある)、'00年代にレジオンドヌール勲章をもらったのが3度目の恩。
義理堅いハリルさんは、フランスに対していつも感謝の心を抱いており、私はフランス大使館と彼との繋ぎ役になった。
サッカー頭脳もトルシエ監督よりも上だった。
お互いをじっくり知り合うきっかけとなったのはEURO2016だった。
WOWOWのアンバサダーになった彼と、1カ月間試合を見続けたのだ。コンビとして初めての仕事。生放送で彼の通訳や試合解説のアシストをした。
その間、何度か彼の実家へお邪魔したり、彼が私の実家に来たりもした。彼の奥様、2人の子供たちとも親しくなった。
私は終始ご機嫌だった彼の、とりわけ戦術眼と洞察力に圧倒された。
戦略家としての彼のサッカー頭脳は、私が知っているトルシエ監督より上、醸し出すカリスマ性も圧倒されるほどのものだった。
そんなハリルさんと私は、EUROの最終日に設定したべンゲル監督との対談の際、初めて喧嘩をした。
原因は私にとっては些細なことだ。