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パシュート金の菊池彩花が涙の引退。
黙々と1人で滑る姿を、恩師が告白。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO SPORT
posted2018/04/12 07:30
平昌五輪からの帰国直後の記者会見における菊池彩花。今後は富士急に籍を置きつつ指導者としての道を歩む。
故障明けのスタートとなった2017年。
こうして迎えた'17年春。平昌五輪シーズンの始まりは、「まずは厳しいトレーニングができる身体にする」という、他の選手と比べればかなり後方からのスタートとなったが、菊池の気持ちがぶれることはなかった。
人一倍追い込むタイプの菊池にとっては「やり過ぎ」という危険があったが、ナショナルチームの綿密な体調管理が故障を未然に防いでくれた。選手個々の状態に応じた細やかな練習メニューで、菊池はしっかりとプラン通りに復活ロードを前進していった。
ショートトラックで平昌五輪を目指した妹たち(悠希、萌水、純礼)にも支えられた。そもそも菊池の負けん気の強さは、妹たちの前でも一緒。右足に大けがを負ったときも、弱音を吐くことはなかったという。
「やっぱり、辛いと口にするのは姉として恥ずかしいじゃないですか。姉としての意地はありますよね。弱いところは見せたくない。連絡は取り合いますけど、悩み相談は基本的にないんです」
ほほ笑みながら、そんな風に言っていた。
それでもケガをした後、久々に実家に帰ることを連絡したときに、妹たちが何も言わずに集まってくれたのがうれしかった。特別な気遣いはなく、いつも通り接してくれたこともありがたかった。
「妹たちも両親も、普段と一緒で、本当に居心地がよくて。あのときは、メンタル的にも助けられましたた」
滑り終えると自然に涙が流れた。
'18年2月、平昌五輪。
長田氏は女子チームパシュートのレースを自宅のテレビで見守った。テレビ画面に映し出される日本女子チームのレースは、まったく危なげがなかった。日本は'10年バンクーバー五輪でこの種目の銀メダルを獲得しているが、そのときは1回戦、準決勝、決勝ともすべて同じメンバ-(田畑真紀、穂積雅子、小平奈緒)が滑っていた。
今回は3レースを4人で滑った。
菊池は準決勝のみの出場。そこで役割を完璧に果たした。滑り終えると自然に涙が流れた。
準決勝を休んだ佐藤綾乃が決勝で滑る周回を増やす作戦を採れたのも、菊池がいたからこそだった。
日本は個人種目のメダリストをそろえるオランダに大差で勝った。