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パシュート金の菊池彩花が涙の引退。
黙々と1人で滑る姿を、恩師が告白。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO SPORT
posted2018/04/12 07:30
平昌五輪からの帰国直後の記者会見における菊池彩花。今後は富士急に籍を置きつつ指導者としての道を歩む。
「(菊池は)黙々と1人で滑っていた」
自身が語るように目立った成績ではなかった菊池が、スピードスケートの名門である富士急行に入ることになったのは、橋本聖子(現日本スケート連盟会長)や岡崎を育てた長田照正氏(現富士急スケート部顧問)にスカウトされたことがきっかけだった。
'04年12月。長野・佐久長聖高校2年だった菊池は、日本のエースとして君臨していた岡崎とともに「浅間選抜」という大会のために長野・浅間温泉国際スケートセンター(2011年閉場)を訪れた長田氏(当時は監督)に「うちで五輪を目指してみないか」と誘われた。
菊池を初めて見た長田氏は、「身体が大きくて背が高く、オランダ人の滑りに似ていると思った。外国人かなと思うほど、日本人離れしていた」という印象を持った。
ダイナミックな滑りに大きなポテンシャルが潜んでいることを感じていた。だが、長田氏が菊池をスカウトした決め手はそこではない。「黙々と1人で滑っていたところ」である。目標に向かって突き進むことのできる意志こそ、菊池の才能だった。
「ずっと子供の頃から五輪に憧れがあった」
「私の場合は、ずっと子どもの頃から五輪というものに対する憧れというのがあったので、成績が出なくても、いつか自分もあそこに立つという気持ちで練習してましたね。富士急では憧れの岡崎さんと一緒に練習できる、他の先輩たちもW杯の代表選手ばかりで、ものすごく良いトレーニングの環境ができると思いました」
ただ、最初は苦労した。夏の陸上トレーニングではつねに後れを取った。フィジカルのベースのレベルがまるっきり違っていた。
「自信を失う一方になってしまって、自分がここにいていいのかなと思ったこともありました」