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ジャーナリスト大住良之が目撃した激闘の記憶

posted2018/04/13 10:00

 
ジャーナリスト大住良之が目撃した激闘の記憶<Number Web> photograph by AFLO

リネカー擁するトッテナムを4-0でくだし、キリンカップ初優勝を喜ぶカズ(右)とラモス。

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大住良之

大住良之Yoshiyuki Osumi

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AFLO

キリンカップ最終戦(東京 国立競技場)

日本 4-0 トッテナム

 1991年、3年ぶりに開催されたキリンカップ。日本代表、タイ代表のほか、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ、イングランドのトッテナム・ホットスパーの2クラブを迎え、総当たりで行われた。その最終日が、6月9日、東京の国立競技場での試合だった。

 2連勝で迎えた日本代表はトッテナムとの最終戦を引き分ければキリンカップ初優勝という状況。しかしトッテナムも1勝1分け。勝てば賞金10万ドル(当時のレートで約1420万円)を手中にできる。当然、モチベーションは低くなかったはずだ。

 この大会の「目玉」とされていたのはトッテナムのFWリネカー。イングランド代表のオセアニア遠征に招集されていた彼を、日本サッカー協会はニュージーランドまで職員を派遣、この国立での最終戦に出場させるべく、強引に連れてきた。

 だがそんな努力は不要だった。この日の主役はリネカーではなく、「赤いユニホーム」の日本代表だったからだ。

カズとラモスが加わるも期待値は低かった。

 梅雨入り前の東京は、夏を思わせる快晴に恵まれた。

 GK松永成立、DFは右から阪倉裕二、柱谷哲二、井原正巳、MFはボランチに浅野哲也、右ウイングバックに福田正博、左に堀池巧、攻撃的MFにラモス瑠偉と北澤豪、そしてFWにはカズこと三浦知良と武田修宏。横山監督になって採用した3-5-2システムだ。

'89年に日本国籍を取得したラモスと'90年にブラジルから帰国したカズは、ともに'90年秋のアジア大会から日本代表に加わったが、準々決勝で敗退。このキリンカップ前、日本代表に大きな期待をかける人はいなかった。

【次ページ】 福田、北澤、カズが次々とゴールを。

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