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森保監督と東京世代、目標は高く。
「“おめでとう”の言葉を目指して」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2018/04/09 07:00
サンフレッチェ広島を3度のJ1制覇に導いた森保一監督。東京五輪世代を率いる冒険に期するものがある。
ホームゲームの朝には平和記念公園に。
監督時代、ホームゲーム当日の朝に決まって平和記念公園に足を運んだ。
「チームが前泊するホテルと平和記念公園が割と近いということもあって、散歩を兼ねて行くようになりました。公園に行くたびに、サッカーをやれる喜び、幸せというものを感じます。戦争によって多くの方が命を落とし、多くの方の苦しみや悲しみがあって、そのうえで私たちは平和に暮らすことができているのだ、と。原爆で亡くなった方のご冥福を祈るとともに、サッカーをやれる幸せを噛みしめなければならない。そういつも思っていました」
サッカーと平和。スポーツと平和。
'15年のクラブワールドカップ(CWC)でのこと。大阪でリバープレート(アルゼンチン)と準決勝を戦った際、相手サポーターが広島の地を訪れていたと知人から聞いた。感激を覚え、3位決定戦後の記者会見でそのエピソードを披露している。
「リバープレートのユニホームを着た方が原爆ドームや平和記念公園を訪れてから大阪に向かったと聞いて、率直に嬉しかったんです。南米の熱狂的なサッカーファンは車を売ってまで、愛するクラブを応援するために海外に出向くとも聞きます。そのなかで二度と起こってほしくない戦争の悲しみを感じようと広島まで足を伸ばしていただいた。CWCを通し、また違う角度から平和の有難さを感じることができました」
サッカーを通じて広島を盛り上げることがひいては地域貢献、平和への発信につながると確信を持てた。新スタジアム建設計画に向けた積極的な発言もそのためだった。
感謝の言葉のみを残し、静かに広島を去った。
新スタジアム建設決定までは監督を続けるつもりだった。しかし、その願いは叶わなかった。
就任6年目を迎えた'17年、サンフレッチェはシーズン序盤から低迷し、浮上のきっかけをつかめない状態が続いた。7月1日の浦和レッズ戦で今季2度目となる4連敗を喫したことで、森保はクラブと話し合いのもと離任を決断した。
日常から最善の努力を尽くしてきた自負があっただけに、悔いはなかった。あるのは感謝だけ。チームのマネージャーを通して「幸せな時間を過ごすことができました。ありがとうございました」と選手、スタッフに短い感謝のメッセージのみを伝えて静かに去った。