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彼らは「改革」など望んでいなかった。
私はなぜラグビー協会を辞めるのか。

posted2018/03/30 17:00

 
彼らは「改革」など望んでいなかった。私はなぜラグビー協会を辞めるのか。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

ジャパンエスアールCBO(チーフ・ブランディング・オフィサー)の役職は継続する。

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池田純

池田純Jun Ikeda

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Kiichi Matsumoto

 2018年3月23日をもって、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会特任理事、一般社団法人ジャパンエスアール理事を辞任いたしました。

 この職に就いてからわずか11カ月での辞任となります。残念ながらこの決断をせざるをえなかった背景について、説明いたします。

 大前提として、私はどのような経緯でラグビー界に属したのか?

 それは「依頼を受けたから」です。

 しかし、いざ内部の人間になってからも、ラグビー協会は私に何かを託して、任せてくれることがなかった。実行の権限とそれに伴う責任を託してもらえないか、と何度も打診してきましたが、実現されませんでした。

 会議の場などで、様々な意見の提案もしました。しかし、それがまったく違う結果となり、かたちにならない。意見するだけの立場について、限界を感じることが幾度もありました。

 特任理事に招聘されたのみで、行動が許されず、意見さえ取り入れられることがなかった。W杯が開催される'19年以降のラグビーの経営と発展に対して、私は懸念を抱き続けることになりました。

ラグビー界の改革の難しさを感じ続けた。

 それだけではありません。ジャパンエスアールCBOとして大きなビジョンが必要だと考え、組織内へ向けて事前に説明したにも関わらず、「青山ラグビーパーク化構想」に対する事後的な否定の声を多々耳にします。最近は、ドラマ『スクール・ウォーズ』上映にも過剰な忖度でストップがかかりました。

 まるで手のひら返しのような反応。私を呼んだ人たちと最低限、直接コミュニケーションできる機会をもっと与えてもらえれば、と改革の難しさを感じ続けていました。

 ラグビー界の方々が、あえて私に、声をかけた理由。

 それは、「変える」役割を担う人間を求めていたからなのではないのでしょうか。

【次ページ】 改革や挑戦への覚悟が本物であれば。

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