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ボルダリングとはちがう難しさを実感。
リードの奥深さと日本人選手の可能性。
text by
津金壱郎Ichiro Tsugane
photograph byShigeki Yamamoto
posted2018/03/19 11:00
リードW杯での優勝経験がある是永敬一郎が今大会を制した。
1976年の国際大会に参加した日本人。
そんな中、クライミング技術が日本に伝わったのは1921年。ヨーロッパ留学中にアイガー東山稜を登攀した槇有恒(まき・ゆうこう)が帰国して、当時のアルプスで行われていたクライミング技術を伝えた。これと時を同じくして、関西では神戸在住の外国人から岩登りの手ほどきを受けたグループが始動したのが最初と言われている。このため日本では戦後、アルパインクライミング(岩壁や氷雪壁などの困難なルートを登破するスタイルの登山)が発展し、そこから派生してフリークライミングが広まった。
岩場でのクライミングを源流に持つスポーツクライミングの「リード」、「スピード」、「ボルダリング」のなかで、最も古くから競技が行われてきたのはスピードである。1940年代後半から旧ソビエト連邦の岩場で行われ、1976年に国際大会が開催された際には日本からも今野和義氏と大宮求氏の2名が初参加した。ただ、この時の競技内容はトップロープでタイムを競うものではあったが、緩傾斜の岩場を登山靴で登るというフリークライミングというよりはアルパインクライミングであった。現在のスピードはこの流れを汲んでいるため、トップロープで行われている。
国内初のリード大会は1987年に実施。
一方、リードは1800年代後半の発祥時からクライミングの本流に位置するが現在のリード種目のスタイルに繋がるものは、1980年代からフェース状の岩に確保支点を埋め込んだスタイルがヨーロッパで広まったことを起源にしている。
1985年にイタリアのバルドネッキアの岩場で世界初のリード大会が行われ、翌年からイタリア・アルコの岩場に移したこの大会の成功が引き金となって、岩場でリード競技という概念が世界中に広がった。1986年にフランス・リヨン近郊でインドアの人工壁で初めてリードの大会が行われ、1987年には神奈川県茅ヶ崎市のシーサイドロックで国内初のリード大会が実施された。
こうした世界的な広がりを受けて、1989年に第1回ワールドカップ(W杯)が、リードとスピードの2種目で行われることになったのだ。ちなみに、ボルダリングがW杯種目になったのは1998年。日本国内で第1回ボルダリング・ジャパンカップが開催されるのは、2005年のことである。
そんな歴史的背景もあって、スポーツクライミングはヨーロッパ諸国やアメリカではリードやボルダリングの人気やレベルが高く、旧ソ連邦の流れをくむロシアなどはスピードが盛んに行われてきた。日本でもクライミングといえばリードを指すほど盛んだったが、ここ数年は日本勢のW杯での活躍もあってボルダリングがメジャー化し、リードは陰にまわっている。W杯国別ランキングでボルダリングは4年連続1位に君臨するが、リードでは2013年の1位を最後に3位と4位を行き来している。
しかし、こういった流れもユース年代の成長によって、これから先はどちらも世界1位になる可能性が高い。