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山川穂高が人生をかけて手に入れたもの。
フルスイングに隠された繊細さと覚悟。

posted2018/03/16 11:30

 
山川穂高が人生をかけて手に入れたもの。フルスイングに隠された繊細さと覚悟。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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Hideki Sugiyama

 もし何か悩みやストレスがあるなら山川穂高のホームランを見ればいい。そう思わせる爽快感が彼の描く放物線にはある。愛嬌のある顔と恰幅のいい巨体で硬球をゴムまりのように飛ばしてしまう。まるでアニメの中から飛び出してきたような非現実性がある。

 ただ、その豪快なホームランが、実は己の弱さや現実を直視したところから生まれたということはあまり知られていないのかもしれない。

 絶望が出発点だった。沖縄生まれの飛ばし屋は宜野湾の中部商、岩手の富士大と順調に白球をかっ飛ばし、'14年にドラフト2位で西武ライオンズに入った。天性の明るさを持つ「うちなーんちゅ(沖縄人)」は白とブルーのユニホームに意気揚々と袖を通し、周りを見渡してみて、はたと気付いた。

「中村(剛也)さんがいて、開幕してすぐにメヒアが来た。年俸4億と5億の人と比較されるわけですよね。ホームラン王獲っている人より、外国人助っ人より打たないと僕は出られないわけですよね。これはハードル高いな、と……」

 それでも何とか2年目の開幕一軍メンバーに入った。開幕戦も、2戦目も、3戦目も、ベンチ裏で代打に備えて素振りをしていた。今か今かと待っていたが、お呼びはかからなかった。そして、4戦目にこう言われた。

「チーム事情だから二軍に行ってくれ」

 まだ、手も足も出ずに空振り三振した方が諦めがついただろう。打席に立つことすらないまま荷物をまとめて球場を去る時、現実を悟った。

「先発投手を登録するためだったんですけど、その時に『ああ、俺いらないんだな』って思っちゃったんですよ。何しても無理だなと思っちゃったんです。それからは一切気持ちが乗らず、二軍でもあまり打てずに減俸されて……。でも、どこかで言い訳していたところもあったんですよ。中村さんがいて、あんなにいい助っ人がいるから、どんなに頑張っても出られないって」

【次ページ】 恐ろしい視線の中で放った2ラン。

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