第94回箱根駅伝(2018)BACK NUMBER
予選会10位突破からの下克上を狙う!
創部7年目、2度目の箱根駅伝に挑む東京国際大学駅伝部。
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byAFLO
posted2017/11/16 11:40
創部7年目で2度目の箱根駅伝出場を決めた中央前列左から大志田秀次駅伝部監督、倉田信靖理事長、横溝三郎総監督。
家族を説得し、安定した会社を辞めて選んだ監督の道。
そもそも監督を引き受ける経緯はどのようなものだったのか。
「中大のコーチを退いて、フツーの仕事をして8年目くらいでしたか。このお話をいただいて、悩むというよりはやりたい気持ちがふつふつと湧いてきて……。本田技研という安定した会社を辞めるので、むしろ家族を説得するのが大変でした」
一大決心で監督に就任したものの、スタート時点では選手が3人、マネージャーが1人、グラウンドもまだできていない状況での船出だったというから、当時の苦労がしのばれる。
監督の力量は1年目からいきなり試されることとなった。
「スカウトがまず大変ですよね。丁寧に説明してもまだ早いよとか。本当に箱根に出られるの? とか。なかなか相手にしてもらえない。だから最初は地域性を重視して、走れるんだけど環境のせいで力を発揮できていない、そんな選手を発掘して回りました。私も東北出身なんですけど、東北は冬、雪に閉ざされて思うように練習ができない。練習さえしっかりできれば大学で伸びるコはいるんです。あとは中大や実業団時代から付き合いのある先生方にお願いして、なんとか選手を集めていきました」
1年目に出会った、チームの核となる選手。
高校時代から好記録を持っている選手の入部は端から望めない。5000m14分台後半から15分台の選手に、基本的なところから指導していった。幸運だったのは、1年目のスカウトで関竜太というチームの核となる選手に出会えたことだ。
「彼が主将で4年生になって、その年に初めて箱根駅伝に出場するんですけど、親分肌の良い選手でした。もう一人、当時のマネージャーに吉村(玲亮)というのがいて、彼の先輩が青山学院大学でマネージャーをしていた縁で、青学流の目標の立て方などを聞いてきてくれたんです。それもチームが変わるうえでの転機でしたね」
創部4年目の春のこと。自分たちに足りないものが何なのか、他大学の取り組みから謙虚に学ぼうと、青学大の合宿所に選手を4名、同じく東洋大の合宿所に4名の選手を送りこんだ。それぞれの監督に頼み込んで、2泊3日の共同生活を体験させてもらったのだという。