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SB東浜、広島薮田、DeNA山崎の魔球?
亜細亜大出身投手がCS席巻の秘密。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byKiichi Matsumoto
posted2017/10/18 11:45
“亜細亜ボール”の握りを披露してくれた薮田。今季のポストシーズンでも猛威を振るうか。
アマ球界屈指の厳しさの亜大が輩出した4投手。
故障で苦しむ薮田には恨まれることを覚悟で投球を制限し、時にブルペンから「出て行け!」と追放したこともあった。
山崎は高卒でプロ入りする夢が叶わず、入学した亜大のブルペンで泣きながらピッチングをしていた。「俺はお前を必ずドラフト1位で送り出す」と生田は約束した。
アマチュア球界でも屈指の厳しさと、幾つもの逸話を持つ亜大野球部。受け継がれてきたモットーである「全力疾走」。とかく指導者に厳しい現代においても、生田はランニングで自ら選手の先頭を走り、全力で選手にぶつかりながら、信ずるところを守り続けている。
「それぞれと色々ありましたけど、あの4人がプロで活躍してくれて本当に嬉しいです。大学の4年間、約1200日、ブルペンの後ろから彼らの投球する姿を見続けてきました。今、投げている試合を見ていても『そろそろ打たれる』というのもわかるんですよね。でも、彼らはもうプロ。僕は何も言いません。頑張ってくれ、としかね」
「亜細亜じゃなければ今の自分はいなかった」
九里は控え目に言う。
「大学時代は、東浜さんという凄い人に少しでも追いつきたいという気持ちでやってきました。今でもそれは変わりません。薮田も康晃も第一線で活躍しているのに、僕は一番活躍できていない。いろんなところでレベルアップしていかないと」
故障ばかりだった薮田は当時、亜大とも生田とも「卒業したら関わりたくない」と思うほど苦しい時間を過ごした。
「卒業して初めて、すごい環境にいたんだなと思います。僕は大学時代にどん底を見たので、今はどんなに打たれても、あのとき以上の苦しさはないと思える。野球に対して悩めるのは、幸せなことですから」
山崎は「亜細亜じゃなければ今の自分はいなかった」という。
「本当に厳しかったです。だけど、今こうしてプロでやれているのは、亜細亜の4年間で作った貯金があるから。生田監督の下、東浜さん、九里さん、薮田らが同じブルペンで揃って投げていた。その投手たちが今、プロで同じような沈むボールを武器にしている。面白いですよね」