“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大岩一貴が悩んだ“便利屋”の壁。
ベガルタで目指す究極の進化って?
posted2017/09/22 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
J1第26節、FC東京vs.ベガルタ仙台。
台風接近のため大雨が降りしきる中、キャプテンマークを左腕に巻いて、頭に包帯を分厚く巻きながら、鬼気迫る雰囲気で3バックの中央を務める大岩一貴がいた。
そんな彼の姿を見て、彼とのやりとりを思い出した。
「自分の進むべき道はどれだと思いますか?」
多くの人間がぶつかる“壁”、と言ってしまえばそれまでのこと。将来のこと、進路や就職、転職、そしてそれぞれの仕事の中で自分の居場所を探し求めるからこそ、誰もがこういった壁に当たることになる。
この高い壁にぶつかっていたのが大岩だった。
マルチロールと言えば聞こえはいいが……。
昨年暮れのこと。筆者の元に一本の電話があった。電話の主は千葉から仙台に移籍していた大岩。しばらく世間話をした後、ふと彼はこう投げかけてきた。
「この先、僕は何を武器にJ1の舞台で生きていけばいいと思いますか? 自分の道はこれで正しいのでしょうか……」
あまりにもストレートな物言いに一瞬戸惑ったが、すぐに彼がある種の“壁”にぶち当たっていることを理解した。だが、同時にその壁は彼をより大きく成長させるためのものだということも感じられた。
その理由に触れる前に、彼のベースとなっている、仙台でプレーするまでのサッカー人生に触れたい。
愛知の中京大中京高校時代から、彼は“守備のマルチロール・プレイヤー”として活躍してきた。当時180cmの身長と競り合いの強さ、高い戦術理解力を持ち、右サイドバックとCBの両方をこなしていた。中央大学に進学してからは、2年時に右サイドバック、そして3年からは不動のCBとしてプレーする一方で、ユニバーシアード日本代表では右サイドバックを器用にこなしていた。
2012年、J2千葉に加入して4年間で右サイドバック、左サイドバック、CBとDFラインすべてのポジションでプレーし、2016年には請われる形でJ1仙台に完全移籍した。