F1ピットストップBACK NUMBER
“愛されるホンダ”は生き残れるのか。
マクラーレンの批判と31年前の危機。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2017/09/10 07:00
今年のイタリアGPでは、50年前にホンダに勝利をもたらしたRA300のデモ走行が行われた。ハンドルを握ったのはGP3を戦う福住仁嶺。
「ホンダはF1の世界に残ってほしいし、残るべきだ」
マクラーレン以外は、ほとんどのチームが2018年に搭載するパワーユニットを決めている。だが、ホンダにF1撤退の意思はない。
「F1に復帰して3年、“正直、ホンダは厳しいね”というチームもあれば、“ホンダとやっていきたい”というチームもあります。みんなから“いらない”とは言われていません。あとはパズルをどうはめるか。いろんなピースがあるので、それをうまくはめていかなければなりません。いまは継続できるよう最大限努力しています」と、山本雅史モータースポーツ部長は、マクラーレン以外のチームとの提携の可能性を匂わせた。
F1界も動いた。モンツァで開かれた記者会見で、FIA(国際自動車連盟)会長のジャン・トッドが「ホンダがF1に残れるように支援したい」と異例の声明を出した。さらにチェイス・キャリー(F1会長兼CEO)とロス・ブラウン(F1モータースポーツ担当マネージング・ディレクター)がホンダのモーターホームを訪ね、「ホンダはF1の世界に残ってほしいし、残るべきだから、われわれにできることがあれば、なんでも相談してほしい」とサポートを約束した。
ターボエンジン禁止に対して、本田宗一郎は……。
じつはホンダは31年前のモンツァでも、撤退に直面する事態に陥ったことがある。86年にモンツァで開かれた、'88年以降のエンジンに関するレギュレーションについての会合で、ターボエンジンは'88年限りで禁止するという根回しが、FIAとホンダ以外のチームの間でまとまっていた。
根回しをしたのは、当時FIA会長を務めていたジャン=マリー・バレストル。ホンダを代表して会合に臨んでいた桜井淑敏が反発すると、バレストルは「F1にイエローはいらない」と屈辱的な言葉を浴びせた。
このとき、桜井総監督とF1のラージプロジェクトリーダーとしてターボエンジンを開発していたエンジニアの市田勝已は、研究所を代表して創業者の本田宗一郎の元を訪れ、F1撤退を相談した。
しかし、宗一郎は「ターボ禁止という変更がホンダだけでないのなら、続けなさい。そこで勝ってこそ、本当にホンダの強さが認められるんじゃないのか」と言って、2人の要求を突っぱねたのだ。