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“愛されるホンダ”は生き残れるのか。
マクラーレンの批判と31年前の危機。
posted2017/09/10 07:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Hiroshi Kaneko
イタリアGPが開催されるモンツァは、ホンダにとって忘れることができない思い出が詰まったサーキットだ。
史上最強と謳われたマクラーレン・ホンダが誕生したのは、1987年のイタリアGPだった。ホンダは当時のウイリアムズとの契約を、1年残して解消。翌年からマクラーレンとパートナーを組む決断を下した。モンツァで行われた発表会にはマクラーレンの総帥ロン・デニスとホンダの桜井淑敏総監督のほか、ドライバーも2人出席した。
アラン・プロストとアイルトン・セナ。
ドリームチームと呼ばれた彼らは翌年16戦15勝を達成し、伝説となった。
アロンソ「ホンダでなければ、優勝争いだ」
あれから30年。今年、ホンダはそのモンツァでもがいていた。9月3日のレースでは、1台がパワーユニットのトラブルでリタイア。もう1台はギアボックスの不調でチェッカーフラッグを受けることなく、レースを終えた。
ホンダの苦悩はコース上だけではなかった。2018年以降のF1活動に暗雲が垂れ込めているからだ。かつての栄光を目指して手を組んだマクラーレンが公然とホンダを批判。元王者のフェルナンド・アロンソからは「ホンダでなければ、優勝争いも可能だった」とプライドを傷つけられた。
ホンダとマクラーレンには長期に渡る契約がある。しかし、この世界でそれがどこまで有効なのかは、30年前のことを考えれば、ホンダもよくわかっているはずだ。モンツァでマクラーレンとホンダは公然と話し合いを持った。