書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
清原にホームランを打たれた男達。
勝負の先にも続く「人生」の深み。
text by
伊野尾宏之Hiroyuki Inoo
photograph byWataru Sato
posted2017/04/23 08:00
PL学園のユニフォームを着て清原和博が甲子園で描いたアーチは計13本。その一つ一つに、秘められた物語がある。
HRを打たれた清原に「頑張れ。頑張れよ」とエール。
『清原和博への告白』は1983年から1985年にかけて、甲子園で清原和博にホームランを打たれた相手11人に話を聞きに行く、というドキュメンタリーである。
時代は30年以上が経過し、清原は罪を犯してしまった。
当時のことについて話したくない人、接触自体が難しかった人もいるだろう。事実、あるピッチャーだけはコメントがなく、代わりにキャッチャーの証言が載っている。
しかし、彼らのほとんどは口を開いた。そこで語られたのは「30年前の思い出」で終わらず、彼ら一人一人はどのような経緯であの試合を迎え、どのようにして清原に打たれ、その後どのような人生を送ったか、という長い人生の物語だった。
まずは1984年春センバツ大会1回戦で対戦した、砂川北高校の辰橋英男である。辰橋は初回に清原に「ケタが違いました」というホームランを打たれるとPL打線につかまり、4回までに11失点。チームは7-18の大敗を喫した。これには「こんな負け方して、北海道に帰れるのか?」と思ったという。甲子園は辰橋にとって「思い出したくもない過去」になり、記憶を封印して生きるようになる。
辰橋は地元のコンクリート関連の企業に就職し、会社員となった。甲子園のことを聞かれると辰橋の口は重くなり、自ら他人に語ることはなかった。しかし、辰橋は仕事を終えて家に帰るとテレビをつける。チャンネルを野球中継に合わせ、テレビの中に清原を探す。画面を見ながら心の中で叫ぶ。「頑張れ。頑張れよ」と。
誰にも話さないのに、清原の姿を追ってしまっている。
「清原にしか打たれていない」自負が重荷に。
京都西高校の関貴博は甲子園で清原に2本のホームランを打たれた。
しかし、清原以外の打者には1本しかヒットを打たれなかった。
「清原にしか打たれていない」という事実は関に「他の高校に打たれるわけにはいかない」という自負を与え、「もう一度清原と当たって、今度は抑える」という目標を持つに至った。その目標は関に高いモチベーションを与えると同時に、野球をする上での大きなプレッシャーになっていく。そしてある強豪高校との試合で打ち込まれると、関の張り詰めた心が壊れてしまった。
ボールが投げられない。ホームまで届かないこともあった。
それでも関は投げようとする。
関は野球で負った「心の傷」を抱えながら、その後の長い人生を送っていく。