マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
高校野球は、人を粗末に扱ってきた。
野球部員の減少を実感する瞬間とは。
posted2017/04/25 11:30
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kiichi Matsumoto
以前のコラム「2つの甲子園」には、おかげさまでたくさんの反響をいただいた。
ありがとうございましたと、心から御礼を申し上げたい。
一途にひたすら甲子園と全国制覇を目指す高校野球、もちろんよし。その一方で、一週間の7日間の何日かを野球に費やし、そのほかの何日かをほかに興味あるスポーツや趣味、勉学にもあてて、バリエーションを持った高校生活を送る、これもよし。
いくつもの種類の高校野球が存在することで、これまで野球をやりたいと思いながら、“高校野球”に対して消極的になっていた者たちが戻ってこられるのではないか。
そんな思いを抱いた要因に、「野球にいそしむ生徒たちが減ったなぁ……」という実感があった。
そもそも、高校野球という世界は“人”を粗末に扱ってきた歴史がある。
「入学した時は、同期が300人いたのが、卒業する時は15人になっていた」
そんな話を自慢げに語る元・強豪高校の球児は、だから強かったんだ……と、さらに胸を反らせた。
チームとしての現象は、確かに甲子園連続出場だったろうし、全国制覇だったろう。そこだけがクローズアップされて成功例として報道され、高校野球から離れていった“285人”については誰も気にも留めぬまま数十年が過ぎて、今に至る。
その繰り返しが、じわじわっと高校生の野球離れにつながってきてはいないか。
何もすべての学校が流れに巻き込まれる必要はない。
高校野球がクラブ活動という本質から離れていって、何か学校直属の“特別のもの”になっている現実は間違いなくある。
学校経営という絶対条件のある私立なら、それはそれであってもよいが、何も高校野球のすべてがそうした流れの中に、自分から巻き込まれていく必要はなかろう。
ウチだけのスタイルの高校野球。
そんな「なんでもあり」の高校野球だって、日本じゅうにもっといろいろあって、それで当たり前のように思う。