酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
甲子園に出て東大へ行く、は可能か。
流行は文武両道ならぬ文武“別”道。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2017/02/19 11:30
大阪桐蔭には3つのコースがあり、体育・芸術を強化するIII類には多くの競技の一流アスリートが所属している。
京都大学のトップ10には、甲子園出場校が複数ある。
では、京都大学合格者上位校はどうなのか?
洛南 [私・京都] 69人 3回戦(甲子園0回)
東大寺学園 [私・奈良] 65人 硬式野球部なし
大阪府立北野 [公・大阪] 62人 地方優勝(甲子園1回)
京都市立堀川 [公・京都] 61人 地方準決勝(甲子園0回)
洛星 [私・京都] 59人 地方準決勝(甲子園0回)
大阪星光学院 [私・大阪] 58人 地方4回戦(甲子園0回)
大阪府立天王寺 [公・大阪] 57人 地方優勝(甲子園1回)
甲陽学院 [私・兵庫] 54人 地方優勝(甲子園4回)
西大和学園 [私・奈良] 49人 地方3回戦(甲子園0回)
滋賀県立膳所 [公・滋賀] 48人 地方優勝(甲子園2回)
甲子園出場したのは、やっぱり50年以上昔の話。
やはり京大は、全国区の東大に比べれば関西ローカルだ。そして、こちらは結構公立高校が多い。甲子園に出ている学校もそこそこある。
しかし子細に調べれば、大阪府立北野高校は、1927年が最後、大阪府立天王寺も1948年が最後だ。
ただし天王寺高校には“公立高校の名将”として有名な政英志監督がいる。専用グラウンドもない恵まれない環境で甲子園を目指す取り組みは、ドキュメンタリー映画でも取り上げられた。
兵庫県の甲陽学院も1938年が最後だが、1923年には全国優勝。1938年は殿堂入りの大選手、別当薫が投打の中心となって旋風を巻き起こした。
ま、しかし、どっちにしても50年以上前の昔の話。