酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
甲子園に出て東大へ行く、は可能か。
流行は文武両道ならぬ文武“別”道。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2017/02/19 11:30
大阪桐蔭には3つのコースがあり、体育・芸術を強化するIII類には多くの競技の一流アスリートが所属している。
東大合格者数トップ10に甲子園出場校はなし。
1位は169人もの生徒を東大に送り込んだ開成。高校野球では、ほとんどの年は3回戦までに消えているが、2005年は4連勝して5回戦まで進み、この年甲子園に出た国士舘に3-10で負けている。
3位、兵庫県の灘高校と言えば日本オリンピックの父、嘉納治五郎が創設した学校だ。「文武両道の元祖」みたいな学校だが、1946年、'50年と地方大会の準々決勝に進出。
麻布は決勝に1回進出しているが、これは出場校数が少なくリーグ戦をしていた1927年のこと。トーナメントになってからも、1950年などは準々決勝に出ている。
東大合格上位校には、甲子園に出場した高校はない。唯一地方大会で勝ち越している早稲田も、勝ち星の多くは昭和初期のリーグ戦時代に稼いだものだ。
なんとなくほっとしてしまうのは、私の器の小ささだろうか。
もともと野球はエリートのスポーツだったが……。
甲子園に出た中での東大合格実績の最上位校は、32人を送り込んで19位タイの筑波大附属と、千葉県立千葉の2校だ。
この2校も筑波大附属は東京高等師範時代の1946年、県千葉は6回出ているが、最後は1953年だ。
もともと野球は、お雇い外国人がエリート学生に手ほどきしたものだ。明治時代には、今の東大教養学部の前身である第一高等学校が無敵だった「一高時代」さえあった。野球はそもそもエリートのスポーツだったのだ。
だから昔にさかのぼれば、「野球も勉強も」という学校はあったのだ。しかし大学進学率が高まり、東大のようなエリート校の競争が激化するとともに、昔の「文武両道校」は鳴りを潜めたのだ。