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F1撤退マノーと日本人メカニック。
「信頼関係」を最後まで貫いた男気。
posted2017/02/13 08:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Manor
F1から、またひとつのチームが去った。2010年にヴァージンという名称でF1に参戦し、その後、オーナーが交代するたびにチーム名を変更しながら戦っていたマノーである。
高度な技術力を必要とするF1はコース上でのスポーツ面の戦いだけでなく、コース外のビジネス面での競争も激しい。2012年末にはスペインのHRTが、2014年末にはイギリスのケータハムがF1からの撤退を余儀なくされている。マノーもまた、新たな投資家を見つけることができず、無念の撤退を決断した。
1月27日、この決定を英国バンブリーのファクトリーで聞いたスタッフには、特別な思いがあった。なぜなら200名以上いたスタッフの多くは撤退の噂を聞いてからチームを離れ、残っていたメンバーはわずか数十人だったからである。彼らは管財人によってファクトリーにある機材が差し押さえられても、チームにとどまった。
そして、その中に1人の日本人メカニックがいた。飯田一寿だ。
イギリスF3時代には佐藤琢磨と王座を獲得した過去も。
飯田は1990年代にF1のメカニックを目指して単身渡英。イギリスF3時代には佐藤琢磨とともにチャンピオンを獲得し、2005年にF1メカニックのポジションをつかんで、夢を実現した。
そんな飯田も、イギリスに来た直後は日本人だということで差別的な待遇を受けたことも少なくなかったという。それでもくじけずに続けられたのは、彼には多くの人たちからの支えがあり、その信頼関係を壊したくないという強い気持ちがあったからだ。その気持ちは、マノーが撤退の危機に陥っても同じだった。
マノーの撤退がいよいよ現実的となった1月に入ると、スタッフの流出は止まらず、20名以上いたメカニックはたった5名にまで減少していた。そのような情報を聞いてか、かつて所属していたF3チームから飯田に「ウチに戻ってこないか?」という誘いがあったという。
しかし、飯田は「チームが生き残りを懸けて戦っているのに、いま抜けるわけにはいかない」と、一時保留した。