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F1撤退マノーと日本人メカニック。
「信頼関係」を最後まで貫いた男気。 

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byManor

posted2017/02/13 08:00

F1撤退マノーと日本人メカニック。「信頼関係」を最後まで貫いた男気。<Number Web> photograph by Manor

弱小チームだったマノーだが、メカニック飯田一寿(左)は仲間たちと最後まで今季の参戦を信じていた。

「自分を引っ張ってくれた人、仲間を裏切れない」

「残るメンバーは日に日に少なくなっていきましたが、その中には自分をこのチームに引っ張ってくれた人や、かつて別のチームでともに仕事をした仲間がいました。その人たちを裏切ることはできません」 

 2005年にジョーダンでF1メカニック人生をスタートさせた飯田は、翌年トップチームのマクラーレンへ移籍。このとき飯田を面接したのがピート・ベイルで、2016年に飯田をマノーに引っ張った人物である。

 またファクトリーでマシンを組み立てるマネージャーのニック・スミスは、飯田が2年間過ごしたケータハム時代の上司であり、ベイルに飯田の採用を助言していた人物だった。ベイルは1月に入って、いよいよチームの状況が厳しくなると、自分はマノーに残りつつも、飯田に別のF1チームを紹介していたほどである。しかし、飯田はそんな人たちを裏切ることはできなかった。

パーツ製作ができない中、ピットストップ練習に励んだ。

 数少ない同志たちとチームに残った飯田だったが、管財人が金銭の出費を禁止していたため、メカニックとしてファクトリーの中でパーツの製作や改良などを行うことができない。そんな状況下、飯田は残ったメンバーとともに「マノーが参戦を継続できる日が来る」ことを願って、ある作業に取り掛かっていた。

 それはピットストップ練習だ。

 だが、F1のピットストップ作業は1つのタイヤ交換を最低でも3人で行う。これにフロントとリアのジャッキマン、ロリポップマンなどを入れると総勢20名近いスタッフが必要となり、たった5人のメカニックでは完全に手が足りない。

【次ページ】 甘っちょろいかもしれないが信頼関係を壊したくない。

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