セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
柳沢、森本がプレーした島が……。
シチリアからセリエAクラブが消滅?
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2017/01/27 11:00
鹿島、そして日本代表のエースとして活躍した柳沢。メッシーナ2年間の在籍で29試合に出場した。
小笠原が去ってほどなく、メッシーナは解散した。
その日は、カターニャのスタジアム「アンジェロ・マッシミーノ」で、パレルモとのダービー後に発生した大暴動の最中、地元警察のラチーティ警部が死亡した忌まわしい日付として刻み込まれている。
事件をきっかけに、全国規模でスタジアムの安全対策の抜本的見直しが進んだ。カターニャやパレルモだけでなく、イタリア中のスタジアムで電子認証式の回転入場ゲートが導入され、試合運営への妨害行為に対して厳しい罰則規定が新たに整備された。
ただし、暴動の様子がTV中継によって生々しく伝えられたことで、凶暴で危険なシチリア島のイメージは増幅した。それによって島のサッカーは計り知れないダメージを被った。
事件から9日後、筆者は物々しい厳戒態勢の中で行われたメッシーナ対カターニャのダービーマッチを取材した。試合の内容や結果よりも、スタジアム中を覆っていた重苦しい空気を覚えている。
そのシーズン、カターニャはしぶとく残留したが、もともと田舎クラブだったメッシーナは力尽きた。最下位で降格すると、当時在籍していたMF小笠原満男(現鹿島)はシチリア島を去り、クラブは翌2007-08シーズンのセリエBを終えた後、経済的困窮を理由に翌年の参戦を見送り、'08年11月に解散した。
シメオネ、モンテッラらが指揮したカターニャも衰退。
カターニャは'10年代に入ってミハイロビッチ(現トリノ)やシメオネ(現A・マドリー)、モンテッラ(現ミラン)といった気鋭の指導者たちを輩出。'12-'13シーズンにクラブ記録に並ぶ8位を獲得したものの、翌年に降格した。加えて、'15年6月にプルビレンティ会長以下クラブ幹部7人が八百長疑惑で逮捕され、現在は強制降格された3部で戦っている。年間シートの売上数は10年前の3分の1だ。
シチリア勢は、坂を転がり落ちるように活気を失っていった。
衰退の理由を『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙は「継続的な投資やリソースの欠如」、つまり資本主義の戦いに敗れたから、と分析している。
しかし、本当にそれだけだろうか。