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柳沢、森本がプレーした島が……。
シチリアからセリエAクラブが消滅?
posted2017/01/27 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
AFLO
シチリア島のサッカーが危うい。
州都パレルモでは、1月下旬だというのに気温が20度近くにも達し厳冬とは無縁だが、町のクラブはセリエA前半戦を18位で終え、降格圏に窮している。
パレルモの戦力不足は開幕時点から明らかで、お馴染みの監督交代もすでに2回。現在指揮を執るのは2003年から4季プレーしたOBコリーニだが、昨秋の就任から7戦で5敗、チーム好転の兆しはなかなか見られない。島の人間は勿論、イタリア中のサッカーファンが、シーズン3度目の更迭がない方がおかしいと考えているはずだ。
あらゆる日常を混沌が支配するシチリア島で、継続性や安定を得ることは雲をつかむような難業に思えてくる。
だが、島の人びとは、かつて過ごした熱狂のシーズンを忘れることができないのだ。
パレルモはドイツW杯優勝メンバー4人を輩出した。
今から10年前、シチリア島にはセリエAクラブが3つもあった。
州都パレルモに、東の玄関口メッシーナ、そして東岸の港湾都市カターニャ。
1929年の全国統一リーグ発足以来初めて、シチリア勢の3クラブがセリエAに揃い踏みした。島中が快挙に沸き立っただけでなく、進学や就職のためにやむなく大都市に暮らす多くのシチリアーノたちも快哉を叫んだ。
地元政財界の癒着や脆弱な社会インフラなど島が抱える闇を吹き飛ばすように、3クラブは暴れまわった。三つ巴のシチリア・ダービーは、セリエAの華の1つだった。
パレルモは、ドイツW杯を制したイタリア代表にDFグロッソ(現ユベントス・ユース監督)やDFバルザーリ(現ユベントス)ら4人を送り出したし、メッシーナのような小さなクラブでも数人の代表クラスを抱えていた。
当時は、シチリア島にも“世界”が身近にあって、セリエAの重心がビッグクラブの居並ぶ北部から、少しばかり南下したような錯覚すらあったほどだ。
だが、島のサッカーは、'07年2月2日を境に暗転した。