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矢島慎也「正直、すごく悩んだ」
浦和復帰、柏木への挑戦が始まる。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/01/18 11:00
浦和ユース育ちの矢島慎也は、サポーターからの支持も根強い。ポジションを争う相手は強大だが、果たして結末は……。
お手本はダビド・シルバからトニ・クロースに。
3年前。過去の自分を思い返し、「浦和で何もできずに移籍した」と悔しさを口にする。当時は出場機会に恵まれず、うっ屈した思いを溜め込むばかりだった。
2014年、浦和でのリーグ戦出場はなし。主戦場はJ3の舞台で戦うJリーグ・U-22選抜。寄せ集めのメンバーで戦うことに限界を感じ、モチベーションを保つのが難しいと漏らすこともあった。
五輪予選も意識し、「チームの一員として何かを目指して戦いたいし、試合に出たい」と移籍を志願。2015年からはJ2の岡山で水を得た魚のように駆け回った。当初は浦和と同じ3-4-2-1システムのシャドーでプレーしたが、シーズン途中からボランチで躍動。ピッチでボールを蹴ることに何よりも喜びを感じる生粋のサッカー小僧に笑顔が戻った。
浦和ユース時代から、得点感覚に優れた2列目のアタッカーとして評価されていたが、岡山で新境地を開く。中盤の底で試合を組み立てることに楽しさを見いだし、「ボランチは面白い」と声を弾ませた。
ユース時代はマンチェスター・シティのダビド・シルバが手本と話すこともあったが、いつしか当時ユベントスでプレーしていたアンドレア・ピルロのゲームメークに魅了されていた。今はミドルパスの名手、レアル・マドリーのトニ・クロースがお気に入り。今季、浦和で背番号39を選んだのも「好きなクロースがバイエルン、レバークーゼン時代に付けていたから」と明かしている。
柱谷幸一氏「本当にいい選手になった」
ボランチとしての素養は持っていた。
コンバートした岡山の長澤徹監督は、中長距離のパスセンスと3列目から最終ラインの裏まで飛び出して行く走力を高く評価した。中盤の守備で未熟な部分はあったものの、そこは徹底して叩き込み、一人前のボランチへ仕立て上げた。
矢島自身も課題に前向きに取り組み、今ではセンターバックと協力して、敵をはさみ込むプレスバックの仕方など、「守備のところで多くを学んだ」と胸を張る。
J2で対戦相手となったギラヴァンツ北九州の柱谷幸一前監督は「厄介な選手だった」と苦笑する。矢島がトップ昇格する直前に浦和のGM(2011年9月に退任)を務めていたこともあり、守備能力の向上に触れて、「本当にいい選手になった」と目を細めていた。