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福原愛が五輪直後に語った本心。
「胸にこみあげたのは、安堵感だけ」 

text by

城島充

城島充Mitsuru Jojima

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photograph byKaoru Watanabe/JMPA

posted2017/01/15 07:00

福原愛が五輪直後に語った本心。「胸にこみあげたのは、安堵感だけ」<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe/JMPA

リオ五輪の全試合を終えた福原愛は、カメラの前で涙を見せた。しかし、彼女を「泣き虫」という人はもういないはずだ。

「福原はもうダメだ」と言われても聞き流せるように。

 3歳9カ月の時に初めてラケットを握って以来、福原は天才卓球少女として常に注目されてきた。小さな背中に注がれる視線が、ときに棘となって自分を苦しめることを知ったのは、10代の前半である。

「良い成績を残せば残すほど、次の試合で負けたときに『福原は終わった』と言われるのが怖くなりました。努力して勝ち得た喜びが、すぐに自分を苦しめる。私は10代でそんなことを経験したんです」という言葉が、古い取材ノートに残っている。

 だが、4度目の大舞台に登場したオリンピアンは、かつて自らを苦しめた“呪縛”から解放されているように見えた。

「今でも少しはありますが、昔と違うのは確かです。仮に『福原はもうダメだ』って言われても、聞き流せるようになりましたから」と、福原は言う。

この4年間で何度も向きあったケガとの戦い。

 変化の背景にはロンドン五輪後に右肘にメスを入れて以来、この4年間で何度も向き合ってきたケガとの戦いがあった。

 手術から復帰した2013年1月の全日本で女子シングルスを連覇したあと、左足の小指の付け根を疲労骨折、2014年4月に東京で開かれた世界選手権を欠場した。その後も腰痛に苦しみ続け、翌年は10歳の時から16年間連続出場していた全日本のエントリーを見送らざるをえなかった。

「福原がリオ五輪シングルスの代表枠に入るのは、難しいのではないか」

 そんな声も、卓球関係者の間でささやかれた。福原不在の世界選手権でエースとして活躍した石川はもちろん、伊藤、平野美宇の「みう・みまペア」ら、才能のある後輩たちが次々に台頭していたからだ。

【次ページ】 贔屓されたり、特別な待遇に恵まれたわけではなく。

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