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福原愛が五輪直後に語った本心。
「胸にこみあげたのは、安堵感だけ」
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2017/01/15 07:00
リオ五輪の全試合を終えた福原愛は、カメラの前で涙を見せた。しかし、彼女を「泣き虫」という人はもういないはずだ。
かつての天才少女の、心が満たされた瞬間。
もし、ドイツ戦の敗北をひきずっていれば、日本チームはより厳しい戦いを強いられていただろう。
石川は「福原さんが一番悔しくて気持ちの切り替えが難しかったはずなのに、3位決定戦に集中していた。その姿を私や美誠ちゃんに見せてくれたことで、チームが銅メダル獲得を目指して一つになれた」と振り返っている。
表彰台の上で、福原は不思議な感覚に包まれていた。
「4年前のロンドンの時は達成感とかいろんな喜びが一気にあふれ出してきたのですが、今回のリオは違いました。胸にこみあげてきたのは、安堵感だけなんです。表彰台の真ん中で仲のよい中国のリュウ・シウェン選手たちと記念撮影したのですが、その楽しさもしばらくすると、安堵感に変わっていきました」
極めて個人的な推察だが、そうして安堵で心が満たされる瞬間こそが、国民注視の中でオリンピックのメダリストにまで成長した天才少女が10代の頃から求め続けてきたものかもしれない。
卓球を始めた1992年8月13日が、もう一つの誕生日。
「昨日の夜、おかしな夢を見たんです」
日本に帰国してから10日後、取材に応じてくれた福原は写真撮影の合間にそう切り出した。
その瞬間、カメラの前に立っていたのは、リオのコートで壮絶なドラマを演じたアスリートではなく、天真爛漫でチャーミングな27歳の女性である。
「私がオリンピックの競泳に出場して、背泳ぎの100mと200mで金メダルを獲っているんです。それで、さあ次は卓球だって。どうして、あんな夢を見たんだろう……」
福原には、誕生日が2つある。この世に生を受けた日に加え、卓球を始めた1992年8月13日を「もう一つの誕生日」と公言してきたのだ。
それならば、リオで銅メダルを胸にかけた2016年8月16日も、彼女にとって新しい誕生日に匹敵する特別な日になったのではないか。
さまざまな重圧から解放された瞳には、これまでとは全く違う風景が映っているはずである。
(2016年9月16日 Number臨時増刊号「福原愛 『胸にこみあげてきたのは、安堵感だけなんです』」)