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福原愛が五輪直後に語った本心。
「胸にこみあげたのは、安堵感だけ」
text by
城島充Mitsuru Jojima
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2017/01/15 07:00
リオ五輪の全試合を終えた福原愛は、カメラの前で涙を見せた。しかし、彼女を「泣き虫」という人はもういないはずだ。
五輪だと、集中力も反応も体の動きも全然違ってくる。
福原の表情が苦痛にゆがんだのはシングルスを終え、団体戦が始まる直前だった。
選手村のベッドから起きあがろうとした時、右足の太ももと臑(すね)に激しい痛みを感じたのだ。部屋の中を少し歩いただけで痛みはさらに激しくなったが、それはある程度予期していた事態でもあった。
「練習でどれだけ追い込んでも、オリンピックのコートに立つと、集中力も反応も体の動きも全然違うんです。神経が研ぎ澄まされている分、それにひっぱられて体が無理をしてしまう。だから、いつか体のどこかが悲鳴をあげるんじゃないか、と」
診察の結果、右足の太ももが筋膜炎を、臑は骨の表面を覆っている骨膜が炎症を起こしていることがわかった。トレーナーの榎沢静香は、右足の状態を丁寧に説明しながら、福原にこう告げた。
「体のことは私に任せて、全力でプレーしておいで。しっかりケアしてあげるから」
オリンピックはそれだけ特別な舞台なんです。
この時、福原は日の丸を背負って戦う覚悟を改めて問われたのかもしれない。
「オリンピックじゃなかったら、棄権していたと思います。もちろん、世界選手権や全日本をはじめ、あらゆる大会が大切な舞台ですが、私にとって、オリンピックはそれだけ特別な舞台なんです。榎沢さんのテーピングはいつも完璧だし、それでもダメだったら、コートの外で倒れてもいいって思いました。会場のどこに担架が置いてあるのかも、事前に確認しておきました」
信頼を寄せるトレーナー榎沢に入念にテーピングをしてもらい、痛み止めを飲んで福原は団体戦のコートに立った。そのフットワークはシングルスの時とは明らかに違ったが、それでも懸命にボールを追い、日本はポーランド、オーストリアを下して準決勝に進んだ。
「コートに入れば、痛みは感じませんでした。ケガに苦しんだ4年間、復帰して良い結果を残すたびに『ピンチはチャンス』と思えるようになりました。でも、リオではそのことを自分に言い聞かせる余裕はありませんでした。目の前の一日、一試合、一本に集中するのに精一杯でした」