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国見で優勝2回の三浦淳寛さんに
選手権の勝ち方を聞いてみた。
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/12/29 17:00
三浦淳寛氏が3年生で選手権優勝を果たしたのは、Jリーグ開幕の年。全国のサッカー少年にとって憧れの存在だった。
宿舎から早朝抜け出そうとしたら小嶺監督が……。
早朝練習は、選手権本番の宿舎でも続いた。トレーニングウェアを着たまま眠り、早朝5時、周りの選手を起こさぬようにそっと布団から抜け出した。ところが、旅館の玄関に小嶺忠敏監督が仁王立ちしていた。驚いた三浦青年が挨拶すると、こう返された。
「三浦、お前がこの大会のためにずっと朝練習をしてきたことは知っている。だからこそ、この大会で活躍するために、大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
それでも、心は変わらなかった。
「先生、大丈夫です。絶対に無茶な練習はしませんから、やらせてください」
そのまま近所の公園に向かい、強度を落としながら、国見のグラウンドと同じメニューをこなす。1時間後、再びチームメイトを起こさぬように布団に潜り込んだ。
「小嶺先生は、どれだけ仕事が忙しくても、選手がどんな行動をしているか把握している。僕は気づかなかったんですけど、朝の自主練習も見ていたんですね」
「国見の選手のコメントはつまらなかったと思います」
前述のとおり、三浦氏は大会が始まると、華々しい活躍を見せた。当然、周囲からの注目度も高まる。特に選手権は、1回戦からテレビ中継され、試合後には新聞・雑誌の記者がコメントを求めて選手たちを取り囲む。
「小嶺先生が口を酸っぱくして言い続けていたのが、常に謙虚であること。だから僕だけじゃなく、国見の選手たちのコメントは、メディアのみなさんからすると、つまらなかったと思います。『チームのために頑張りました』『次も頑張ります』と、ありきたりなことしか話さなかった。本当は、その上で自分の考えを言葉にできれば良かったんですけどね。当時は試合に勝っても浮かれることなく、謙虚であることを大切にしていました。
例えば開会式の行進に関しても、長崎県の代表として恥じない行進をする。背筋と腕をピンと伸ばして歩くために、学校で何度か行進の練習をしてから本番を迎えました」
宿舎に戻っても、生活のリズムが大きく変わることはなかった。
「僕は高校3年間で、休みが1日半だけでしたからね。大会中、急に時間ができたからと言って、何をしていいか分からないですから(笑)。でも唯一、大会中の試合がなかった日に、国見のジャージを着て、みんなで上野のアメ横に行ったんです。革ジャンを買ったのを覚えていますね」