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国見で優勝2回の三浦淳寛さんに
選手権の勝ち方を聞いてみた。
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/12/29 17:00
三浦淳寛氏が3年生で選手権優勝を果たしたのは、Jリーグ開幕の年。全国のサッカー少年にとって憧れの存在だった。
水を飲めない状態で、用水路に潜り込んで……?
当時の国見の猛練習は、語り草だ。夏合宿では1日3試合をこなすのが当たり前。試合内容が悪ければ、ハーフタイムにも、試合直後にも走り続けた。普段の練習では、学校裏にある片道約5kmの「たぬき山」を数え切れないほど往復した。
「当時はまだ『練習中に水を飲んではいけない』時代でしたからね。でも、あまりにも喉が渇くから、選手も考えるんです。たぬき山の脇には田んぼがあって、そこに用水路が流れている。さすがに用水路の水は汚いから飲むことはできないけど、みんな『皮膚から水を吸収するんだ』と言って、用水路の溝に体を潜り込ませて全身に水をかけてましたね。効果があったかは分からないけど(笑)」
当時から、国見の練習量は「日本一」と言われていた。しかし、三浦氏に「練習をやらされている」という意識はなかったそうだ。
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「国見といえば理不尽な練習をやらされるイメージを抱かれがちですけど、僕らの感覚では自主的に率先して取り組んでいたつもりです。なにせ、チームメイトは全国から集まった優秀な選手ばかりです。少しでも気を抜けば、大会のメンバーに入れない。だから、昼休みになれば誰もが自主的に筋トレをしていましたし、僕もシャワールームで腕立て伏せを300~500回やるのが日課でした」
朝練習のさらに前に自主練で技を編み出す。
昼休みの筋トレだけじゃない。三浦氏は、朝練習の開始前に自主トレーニングを欠かさなかった。前日の厳しい練習にも関わらず、早朝5時に誰もいないグラウンドへ出る。リフティングでウォーミングアップをし、ドリブル、キック、腕立て伏せのルーティン。これを入学当初からずっと続けた。
「僕は、決してセンスのある選手じゃなかった。だからこそ、ほかの選手よりも練習する必要がありました。一度、やり始めると、やらないことが怖くなる。だから、やめられなかったんです。3年のときの準々決勝、米子東戦では右サイドからカットインして、左足のシュートでゴールを決めました。あのシザースからのフェイントは、早朝の個人練習で編み出したものなんです。センスのない僕でも反復練習を続けることで、ここまでできるようになるんだと、示すことができた。あれは嬉しかったですね」