One story of the fieldBACK NUMBER
MVP新井貴浩を支えた黒田の言葉。
「ボロボロになるまでやれ」の背景。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKiichi Matsumoto
posted2016/12/05 07:00
リーグ制覇時は涙を流し抱き合い、黒田の200勝達成では新井がプレゼンターを務めた。2人の関係性は2016年のプロ野球を語る上で永遠のテーマである。
日本シリーズで不調も、誰よりも声を張り上げた。
しかし、球界の通例からすれば、ベテランがボロボロになるまで現役にこだわることには功罪がある。精神的な面でプラスに働くこともあるが、当の本人に出番が少なく、ベンチを温めることが多くなった場合、その存在の重さがチームにとっての“足かせ”になってしまうケースがある。ただ、黒田の言葉からは、新井という人間の特異性と、それがカープにもたらすものを、ちゃんと見通していたことが感じられる。
象徴的だったのが日本シリーズだ。パ・リーグ王者・日本ハムとの最高峰の戦い。新井は4番から外れた。6試合のうちスタメン出場は3試合のみ。5試合に出て、12打数2安打の打率1割6分7厘、ホームラン、打点とも「0」に終わった。シーズンで4番を打った男にとっては不遇とも、不振とも言える状況だった。
それでも、39歳の主砲はベンチの最前列に陣取ると、誰よりも声を張り上げていた。味方のヒット1本に、喜びを爆発させていた。そんな新井の姿を見て、しみじみと昔を思い出している人がいた。広島工業高校、通称「ケンコー」の野球部で、新井とチームメートだった小玉真寛だ。
高校時代の同級生は「新井待ち」を嬉しそうに語る。
「あいつは本当に変わらんのですよ。昔っから、あのまんまです」
20年以上経った今も、地獄のようだったと振り返る高校時代の日々、小玉たちは練習が終わり、辺りが暗くなっても、なかなか帰ることができなかったという。なぜなら、主将で4番である新井が、ずっと、バットを振っていたからだ。
「あいつは、一生懸命が過ぎるんですよ。俺たちが待っていることにも気づかない。それぐらい、とにかく1日、1日に一生懸命なんです」
早く帰りたいジレンマと、新井への驚嘆。この空白の時間は仲間たちの中で「新井待ち」と呼ばれていた。