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2019年のワールドカップのために。
大西一平とストリートラグビーの挑戦。
posted2016/11/30 07:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
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Sports Graphic Number
10月30日、日曜日の東京・浅草寺。
観光客であふれかえる仲見世商店街を抜け、本堂に向かおうと歩を進めると、境内の一角から小気味の良いホイッスルの音とともに、大きな拍手と歓声が上がった。
敷き詰められた幅8m×縦20mの人工芝。その上を、お揃いのビブスをつけた老若男女がラグビーボールを手に、息を切らし、走り回っている。
3人対3人。
飛び入りで参加したジャケット姿のおじさん軍団が見事なパスワークを見せたかと思えば、小学生の女の子が鬼ごっこよろしく軽快なステップで得意げに大人たちをかわし、インゴールへと飛び込んでいく。プレイヤーも、通りすがりの観客も皆それぞれに、寒風を吹き飛ばすような笑顔が印象的だった。
「なぜ幅8mかといえば、日本の一般国道の平均がだいたい8mだから。ストリートラグビーという名前の通り、ストリートから始まったスポーツだから、グラウンドもこのサイズになったんです」
そう語るのは大西一平さん。
中学時代にラグビーを始め、ニュージーランド留学を経て明治大学から神戸製鋼へ進むと、先日急逝した平尾誠二さんからキャプテンを引き継ぎ、チームの日本選手権7連覇に貢献したスーパー・ラガーマンだ。1987年の「雪の早明戦」、後半ロスタイムの魂の肉弾戦を思い起こすオールドファンも多いのではないだろうか。
日本初のラグビーのプロコーチが推進する。
大西さんは1995年、30歳の若さで引退すると、日本初の「プロコーチ」となり、ジュニアのラグビースクールから高校・大学のラグビー部、社会人チームと個別に契約を結び、選手の心身のレベルに応じた理論的で丁寧な指導を続けてきた。
52歳となった今も全国のグラウンドを飛び回る日々は変わらないが、ほかにも震災復興支援の活動や高齢者を対象としたウォーキングプログラム「歩く人。」を推進するなど、社会貢献活動にも積極的に関わっている。
その大西さんが今もっとも力を入れているのが、冒頭に記したストリートラグビーなのだ。