書店員のスポーツ本探訪BACK NUMBER
「プロ野球を見る私たち」は変わる。
南海ホークスから読み取る文化史。
text by
伊野尾宏之Hiroyuki Inoo
photograph byWataru Sato
posted2016/11/02 07:00
南海ホークスの栄光と挫折の軌跡を追いつつ、スタジアムという空間のあり様や応援という行動の変遷を活写。
プロ野球の認知を広めたのはメディア企業だった。
そこで同じ関西圏の電鉄会社には競合する問題が出てくる。
南海ホークスの広報宣伝を阪急沿線地域にしたり、阪急ブレーブスの宣伝を近鉄沿線にすることは難しい。
そもそも自社の沿線住人を球場に呼び寄せることが第一の目的である。
関西のパ・リーグ各球団は自然、自社沿線のみに広報宣伝することになる。
対して読売新聞社、中日新聞社といったメディア企業はプロ野球の結果や情報を載せることで自社媒体の売り上げを増やしたいという狙いがあった。
新聞を見るのは「沿線」の人々ではなく、新聞が届く遠隔地の人も含まれる。
さらに新聞社はテレビと組むことで、急速にプロ野球の認知を広めていく。
かくして「球場に行ったことはないけれど、テレビで見るから巨人軍というチームとその選手は知っている」という人々が多数派になっていく。
こうしてセ・リーグ(というより読売ジャイアンツ)は知られることで人気を博し、逆に知られることのないパ・リーグの人気は低迷していく……という構図ができる。
苦闘、そして閉塞していく南海ホークスの歴史。
南海ホークスは昭和30年前後に栄華を極め、その後長く苦闘の時代が続く。
大阪なんば駅からほど近く、かつては観光名所でもあった大阪球場(この球場が「南海球場」にならなかった理由も本書に書かれる)は次第に役割を変え、なんば地区再開発のために敷地が一部撤収され、三塁側スタンドは歪んだ形へと追いやられ、最後は売却される。
その歴史は、次第に閉塞していく南海ホークスの歴史とリンクしている。
この本でもう一つ中心になるのが「人々はいかにプロ野球を見ていたのか、またそれはどう変わっていったのか」という「プロ野球ファンの変遷」の物語である。
現在につながる、試合中の応援はどのようにして始まり、どう変わっていったのか。
トランペットで選手別の応援歌が演奏されるようになったのは昭和50年代からだというがトランペット応援は野球場に何を作り、また何を奪ったのか。
「南海ホークスがあったころ」は「プロ野球を見る私たち」がいかに変わっていったかを小さな事象とともに細かく深く描く本である。