Jをめぐる冒険BACK NUMBER
森脇、柏木、阿部それぞれの喜び方。
浦和の9年ぶりのタイトルに思う事。
posted2016/10/18 11:30
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
J.LEAGUE.PHOTOS
浦和レッズの5人目のキッカー、遠藤航のPKが決まった瞬間、ピッチの上ではさまざまな想いが交錯していた。
ベンチの前でPK戦の行方を見守っていたミハイロ・ペトロビッチ監督の元に駆け寄り、飛びついたのは、森脇良太だった。
「人生でこんなにうれしいことはないんじゃないかっていうぐらいの感情をいだきました。素晴らしい監督であることは間違いないんですけど、タイトルを取れないことによって、それが若干薄れてしまうのが辛かった」
森脇と同様、サンフレッチェ広島時代からペトロビッチ監督の指導を仰いでいる柏木陽介は監督ではなく、GK西川周作と最後のキッカー、遠藤を労いに行った。
「周ちゃんと航をほったらかしにしたら失礼やろ、と思って」
キャプテンの阿部勇樹は……監督の元にも、西川と遠藤の元にも向かわなかった。彼がしたのは、PK戦が行なわれたのとは逆サイドのゴール裏のほうを向き、ガッツポーズを繰り返すことだった。
「2007年に移籍してきて、レッズで(国内の)タイトルを取ったことがなかったので、苦しい思いや辛い思いをさせてきたし、いろんな方が長く待っていたと思うので、あっちを向いて一緒に喜びたかった」
「あっち」というのは、言うまでもなく、真っ赤に染まったホームのゴール裏のことだ。阿部にとって真っ先にサポーターと喜びを分かち合うことに大きな意味があった。
何度も、何度もG大阪にタイトルを阻まれてきた。
ナビスコカップから装いも新たにルヴァンカップとなった最初の決勝は、1-1の同点からPK戦へともつれ込み、浦和がガンバ大阪を下して初代王者に輝いた。
浦和にとってタイトル獲得は、2007年のアジア・チャンピオンズリーグ優勝以来、国内に限れば2006年のリーグ制覇、天皇杯優勝以来となるタイトルだった。
その2006年、浦和によってタイトル獲得を阻まれたのがG大阪だったが、近年では反対に、浦和にとってG大阪は“天敵”として存在している。勝てばリーグ優勝が決まった2014年11月の32節でも、昨年のチャンピオンシップ準決勝でも、今年元日の天皇杯決勝でも、浦和の前に立ち塞がったのは、G大阪だった。