スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
フェルナンデスと作家キンセラ。
ふたりへの追悼と、イチローと。
posted2016/10/01 11:00
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
AFLO
ホゼ・フェルナンデスが逝ってしまった。2016年9月25日の早暁。乗っていた高速ボートが岩礁(というより岩を連ねた突堤)に激突したのだ。
こんなことがあってよいのか。あれほど才能に恵まれた若者が、なぜ突然、命をへし折られなければならないのか。理不尽だ。私はフェルナンデスが好きだった。圧倒的な投球を見せながら、なぜかいつも、にこにこと笑っていたような印象がある。めったにいない天才だと思っていた。
率直にいって、まだ心が乱れている。落差の大きなカーヴで奪三振ショーを演じていたときの姿は、反射的に思い出した。右打者の腰にぶつかるかと思われた球が、急激に曲がってホームプレートを横切り、外角低目へ逃げていく。デビュー時から三振の取れる投手だったが、つい最近に限っても、2016年9月20日の対ナショナルズ戦(8回、12三振)や9月9日の対ドジャース戦(7回、14三振)などは記憶に新しい。
あるいは、あの無邪気な笑顔。2016年のオールスターの本塁打競争でジャンカルロ・スタントンが破天荒な数字を叩き出したとき、そばで応援していたフェルナンデスは本当に嬉しそうだった。
あと10年、15年はトップで投げられるはずだった。
エド・デラハンティ(1903年、35歳で事故死)、アディー・ジョス(1911年、31歳で病死)、ロベルト・クレメンテ(1972年、38歳で事故死)、サーマン・マンソン(1979年、32歳で事故死)、ダリル・カイル(2002年、33歳で病死)の名もつぎつぎと脳裡に浮かんでくる。悲劇的な死に遭遇した名選手の数は、けっして少なくない。
ただ、彼らはフェルナンデスほど若くなかった。1964年に22歳で事故死したケン・ハブスや、2014年にやはり22歳で事故死したオスカー・タベラスの例はあるが、フェルナンデスはあと10年、もしくはあと15年、トップレベルで投げられるはずだった。もっと豊饒な未来を手に入れる可能性もあった。もう少し気持の整理がついたら、彼の足跡を振り返ってみたいと思う。