Jをめぐる冒険BACK NUMBER
J1“裏天王山”制した福岡・井原監督。
「トップ下・三門」は残留への切り札。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2016/09/22 08:00
監督としてはJ1初挑戦となった井原監督。自らを支える福岡サポーターのためにも残留を信じ続けて戦う。
「チームのためにトップ下をやってほしい」
この働きには井原監督も「奪ったボールをいい形で、間で受けて起点になったり、時間を作ってゲームをコントロールしてくれていた」と最大級の賛辞を贈った。
「ボランチへのこだわりはあります。でも、井原監督が『チームのためにトップ下をやってほしい』と言ってくれたので、僕の力がチームのためになるならと思って」
試合後、いぶし銀の働きを見せた男は、試合中と異なる清々しい笑顔で振り返った。
「『マリノスでもやっていたでしょう?』と言われたので、きっとマリノスのときにやっていたようなことを求められているんだな、と思いました」
トップ下と言えば、サッカーにおいて花形だ。敵の急所をえぐるようなスルーパスを通したり、ゴール前に飛び出してゴールを仕留めたりするような、勝敗に直結する役割が求められるイメージを伴うポジションだろう。
レスターの岡崎も、三門と似た役回りだった。
だが、チームの戦術上、縁の下の力持ち的なハードワーカーが、その花形のポジションで起用されることがある。
例えば、'98年フランス・ワールドカップへの出場を目指した第一期岡田ジャパンで、右の中田英寿、左の名波浩を生かすため、トップ下の位置から走り回ってスペースを捻出していたのは、“ミスター・ダイナモ”北澤豪だった。
プレミアリーグのレスターで昨季、岡崎慎司が担った役割も、実はそれに近い。前線からボールを追いかけ回してプレッシングのスイッチを入れ、中盤とバーディーとのつなぎ役としても機能した。
横浜でトップ下を務めた際に三門が思い描いていたのも、そうしたものだった。
「マリノスでトップ下に入ったときは、シュンさん(中村俊輔)とは違う色を出さないといけないと思っていたので、走ることで(齋藤)学やアデミウソン(現ガンバ大阪)が生きればいいなと思っていた。だから今日も、健志や城後がやりやすくなってくれればいいなと。それに最近、前線からのプレスでスイッチが入っていないのと、前でなかなかキープできていないので、そういうところも意識していました」