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「夢は指導者ではなく選手のもの」
競泳・松田と久世コーチの信念とは。
posted2016/09/11 08:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
9月2日、競泳の松田丈志が引退を表明した。
リオデジャネイロ五輪の4×200mリレーで銅メダルを獲得したあと、「おそらく、これが最後のオリンピックでのレース」と口にしていたが、32歳の今、正式に、第一線から退くこととなった。
功績は計り知れない。
オリンピック出場は、2004年のアテネ五輪を皮切りに、リオまで計4度。北京、ロンドン五輪で200mバタフライで銅メダルを獲得。ロンドンではトップまでわずか0秒25差、2位のマイケル・フェルプスを0秒20の差まで追い詰めた泳ぎは忘れがたい。ロンドンでは4×100mメドレーリレーでも銀メダルを手にしている。そしてリオでの、フリーリレーでは日本52年ぶりとなる銅メダルである。
「手ぶらで……」の松田は異色の選手だった。
成績面のみではない。ロンドン五輪では競泳日本代表の主将を務め、自らミーティングを開催したほか、若い選手への気配りなど、全体を牽引した。
「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」
メドレーリレー時の言葉は広く知られた。
4年後のリオでも存在感を示した。リレーメンバーは、大会までの強化、大会での松田のアドバイスや姿勢に何度も感謝を示したし、リオで競泳陣の主将を務めた金藤理絵もまた、松田のバックアップがあったと語っている。
10年を超えて第一線で活躍してきた松田は、異色の選手でもあった。
4歳で水泳を始めた松田が練習に励んだのは、屋外のプール。ビニールで覆われていたものの、高校生になるまでは温水設備はなく、冬場は厳しい寒さの中で泳いでいた。
そんな恵まれているとは言えない環境で頭角を現したのが松田である。