野球善哉BACK NUMBER
市尼崎が甲子園で見せた「生き方」。
元プロの監督が技術より重視する事。
posted2016/08/09 16:40
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Kyodo News
敗者側の壇上に上がると、市尼崎(兵庫)の指揮官・竹本修は涙をこらえることができなかった。
「本当に子どもたちが甲子園でこれだけ成長させてもらって、その姿を見ることができてうれしいです。欲を言えば勝ちたかったんですけど、あそこまでよく喰らいついてくれたと思います」
昨秋までは、県大会の3回戦で敗退するようなチームだった。そんなチームが甲子園出場を果たしただけでなく、2点ビハインドの9回に驚異的な粘りを見せて試合を一度は振り出しに戻したのだから、竹本の喜びもひとしおだっただろう。
とはいえ、竹本が選手たちの姿に感動を覚えたのは、ただチームが強くなったからではない。9回の驚異の粘りの裏にあった精神性が、竹本が選手として、人として求めてきたことだったからだ。
グラウンドでの姿は、日常生活を映し出す鏡なのだと竹本は捉えている。かつて、こんなことを話していた。
「野球の時だけは諦めない、我慢する、粘る、平常心を保つとか、そんなことはありえないと思うんです。日常生活でもそういうことができているから、野球でもできると思うんです」
野球をしているのと、生活しているのは同じ人間。
野球の練習と同じくらいに、日常生活の行動を大切にする。野球をしている時と学校生活を送っている時は別物ではなく、同じ1人の人間なのだという考え方だ。「頭の構造は一緒やから、野球の時はこうで、普段は違ってこうだということはない」と竹本は言う。
人としての成長が、そのまま野球に繋がっていくというわけである。
竹本は、阪急ブレーブスに所属した元プロ野球選手だった。現役時代は技巧派の左腕投手だったが、プロでの実績は1試合に登板しただけで現役を引退した。その後球団のフロントに入り、球場経営の警備を担当、そこで「日常の大切さ」を学んだという。
「プレーをしていたころは、野球は腕やと技術ばかり追い求めていました。でも、それだけでは自分の持っている力が100%発揮できなかったんです。自分の現役生活を振り返ったときに、技術だけでは成長できないと思いました。名誉とか誇りとか、『これだけのことをやってきたんだ』というようなものは、練習だけじゃ生まれないんです」