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パラ走り幅跳び“世界最強”山本篤。
日本初メダリスト、探究心で頂点を。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byGetty Images

posted2016/07/18 08:00

パラ走り幅跳び“世界最強”山本篤。日本初メダリスト、探究心で頂点を。<Number Web> photograph by Getty Images

山本はアスリートの立場としてスポーツ用義足開発にも関わった。自らのスキルとともに“メイド・イン・ジャパン”のクオリティを見せつけるはずだ。

北京で日本史上初のパラリンピックメダリストに。

 最初の種目100mを5位で終え、走り幅跳びに臨む。1、2回目は踏み切りが合わずにファウルとなった。もし3回目もファウルなら記録なしで上位8名による4回目以降に進めない。

 絶体絶命のピンチを迎えた山本は、3回目、記録を残すために慎重に踏み切り板の前で踏み切ると、5m84。自己記録まであと10cmに迫るジャンプで2位につけると、残りの試技で超える選手は現れず、そのまま銀メダルが確定した。予選落ち寸前からの起死回生の跳躍だった。義足の選手としては、日本パラリンピック史上初のメダルでもあった。

 その後も主要な国際大会ではメダルを獲り続け、2012年のロンドンパラリンピックを迎える。メダリストという実績はむろん、自己記録を6m24まで伸ばし世界ランキング1位にいた山本には、銀メダルを超える成績、つまり金メダルへの期待が高まった。

 だが、それはかなわなかった。

 結果は、3回目に出した5m95がベスト記録の5位。北京での記録は上回ったが、自己記録には及ばなかった。

ロンドンで敗戦も、世界選手権連覇と世界新を達成。

 世界ランキング1位のはずだった。だがいざ試合では、1回目から6mを出してくる選手たちがいた。大観衆の中、思いもよらない好記録の続出は、知らず知らずに重圧となっていた。サングラスを外したり、どこか落ち着きのない動作にもそれが現れていた。

 この大会では100m、200mにも出場したが、それぞれ6位と8位にとどまった。前年の世界選手権などでともにメダルを獲得していた種目だ。

 大会を終えて、実感したのは世界のレベルの向上だった。

 地力のアップの必要性を痛感した山本は、大阪体育大学大学院に進学して運動力学を学ぶなどもともと持っていた探究心の強さを土台に、研究を重ねる。

 その成果は結果となって現れた。2013、2015年の世界選手権の走り幅跳びを連覇。そして今年5月、世界新記録を樹立したのである。

「世界新を出せると思ってやってきて実際に出せたのは自信になる」

 と試合後にコメントしている。

【次ページ】 身体の研究、義足の改良に携わるなど可能性を追求。

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