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パラ走り幅跳び“世界最強”山本篤。
日本初メダリスト、探究心で頂点を。

posted2016/07/18 08:00

 
パラ走り幅跳び“世界最強”山本篤。日本初メダリスト、探究心で頂点を。<Number Web> photograph by Getty Images

山本はアスリートの立場としてスポーツ用義足開発にも関わった。自らのスキルとともに“メイド・イン・ジャパン”のクオリティを見せつけるはずだ。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 今年5月に見せたその跳躍は圧巻だった。

 鳥取市のコカ・コーラウエストスポーツパーク陸上競技場で行なわれた日本パラ陸上選手権。男子走り幅跳び(T42)で、山本篤は6m56をマークして優勝した。従来の6m53を上回る世界新記録だった。

 記録が生まれたのは6回ある試技の4回目。風の様子を見ると、スタートを切る。助走は途中から勢いよく、加速していく。

 滞空時間の長さを感じさせた跳躍に、歓声が沸いた。

 念願の世界記録を出した山本が今日あるのは、山本の持つ探究心と、結果を残せなかった1つの大会にある。

バイク事故で左膝上切断も、専門学校で陸上と出会う。

 高校生までバレーボール部で活躍していた山本は、高校2年生のときバイク事故で左膝上から切断する。その後、進路を定め、義足などを作る義肢装具士の資格を取得するために、専門学校に進む。

 それが転機となった。在学中、陸上競技を始めると、どこまで自分ができるのかを知るため、大阪体育大学へ入学。陸上に打ち込んだ。

 山本が飛躍のきっかけをつかんだのは大学進学後の'04年秋に出場した記録会だった。走り幅跳びのとき、それまでは右足で踏み切っていたが、うまくいかなかったことから、ふと義足の左足側で踏み切った。すると、約1m、自己記録を更新する跳躍が生まれたのだ。

 その後、走り幅跳びと100mの記録を伸ばしていった山本は、2008年、北京パラリンピックに出場する。

【次ページ】 北京で日本史上初のパラリンピックメダリストに。

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