セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
インザーギ、ガットゥーゾ、オッド。
2006W杯優勝メンバー、指導者の今。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2016/07/17 11:00
ACミランでは失望を味わったフィリッポ・インザーギ。しかし、そんなことで彼の情熱が消えるわけはない。復活に期待したい。
マンチーニから始まった“若手指導者”の流れ。
かつて、セリエA監督の椅子は狭き門だった。
30代、40代の若手指導者は、地方をドサ周りしながらセリエBやCで武者修行が当たり前。オッドの父フランチェスコはイタリアで名の通った監督だったが、長い指導者人生のほとんどをセリエBで過ごした。
'95年当時のザッケローニが42歳でセリエAの監督になったのは、指揮を託されたウディネーゼが昇格クラブだったとはいえ、異例の大抜擢だった。
有名選手が引退後即セリエA監督を務めるようになった嚆矢は、'01年にフィオレンティーナの指揮官となったマンチーニ(現インテル)だろう。
しかし、インザーギの前任だったセードルフや昨季ミランを率いたブロッキがそうだったように、個性も成熟度合いもバラバラな大人たちを相手に、十分な下積み期間を経ていない若い指導者は、グラウンド内外の困難に直面するとあっという間に挫折する。
指導者の成功に、近道も遠回りもない。
選手でも監督でも、イタリアではキャリアの成功を急ぐあまり、必要以上に背伸びをして潰れることを“炎上する”という。
ドイツW杯を制したインザーギやガットゥーゾが監督として目指す先には、セリエAはもちろん、CLや代表チームがあるがゆえに、彼らは指導者として一度“炎上”した。
インザーギが目標とする監督像は恩師である名将アンチェロッティだが、今尊敬する同業者として真っ先に名を上げるのは、エンポリで頭角を現した苦労人サッリ(現ナポリ)だ。
華々しい選手キャリアを持つはずの元世界王者たちは、挫折を糧として、2部や3部の田舎クラブから再起する道を選んだ。
指導者として成功をつかむためには近道も遠回りもない。インザーギ監督とガットゥーゾ監督の泥臭くも気概あふれる戦いを今後も見守りたい。