マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「高校野球のプロ」と「普通の学校」。
両者が混在する現状は“残酷”か。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/07/06 11:00
高野連に登録している野球部員は全国に15万人以上。その全員がプロや甲子園を真剣に目指しているわけではない。
3年間のすべてを野球に「懸けない」という選択肢。
かつて社会人野球で活躍したある選手が、こんな話をしてくれた。彼には、中学校で軟式野球に励む息子さんがいる。
「野球は高校でも続けたいっていうんですけど、一方で、たまには旅行もしたいし、野球以外に興味を持てるものも探したいって言うんです。そんな高校、ありますかねぇ……」
彼は、息子さんのそういう希望を“アリ”と考えている。ひとつのことに3年間のすべてを懸けて没頭するのも“青春”なら、ひとつのことに偏らずに自分の可能性を広げ、試そうとする息子さんの考え方もしごく健全なものと捉えている。
強い共感を覚えた。
そういう“高校野球”のあり方を求めている若者がここに1人いるということは、全国には何千人、いや何万人という規模で潜在しているのではないか。しかし、彼らの多くは、自分の意図する野球部が見つからずに高校野球を断念し、ほかのスポーツに転ずるか、スポーツそのものとの距離を置いてしまう。そんなもったいない、隠れた状況があったとしたら……。
高校野球がこの先も続いてほしいと願う一方で……。
将来の生活設計を野球に託して、その一点に力を注ぎ、懸命に心身を鍛え、腕を磨き、その通過点として熱く全国の頂点を目指すのも高校野球。
一方で、高校生としての普通の生活を過ごしながら、生活の一部として高校野球に取り組み、いそしみ、楽しみ、目標は「子供にきちんとしたキャッチボールが教えられるお父さん」。
どちらが“甲子園”でもよいと思うが、どちらも間違いなく「高校野球」であろう。
別々の目的と意義と環境を持った「2つの高校野球」になるのか、それともサッカー界のように、「○○ジュニア」「○○シニア」といったプロ球団の下部組織としての“高校野球のプロ”が新たに組織されるのか。
1915年、大正4年。
出場校73校で始められた「高校野球」は今年で101年目を迎える。長い年月の経過の中で、世の中も高校野球も劇的な変化を遂げた。
世界に類を見ないスポーツ文化であるこの国の「高校野球」がこの先もずっと続いていってほしいと願う一方で、もう見て見ぬふりできない過渡期に行きあたっているんじゃないのかな……という漠然とした疑問も抱きつつ、ともあれ、私の夏の予選巡りは今年もその幕を開けた。