マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「高校野球のプロ」と「普通の学校」。
両者が混在する現状は“残酷”か。
posted2016/07/06 11:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
2016年の高校野球が幕を開けた。
毎年6月中旬に開幕する沖縄を皮切りに7月下旬まで、全国で甲子園を目ざした戦いが展開される。
気になっている選手がいて、さっそくある球場へ出かけてみた。
その選手がいるチームは、地区ではいわゆる強豪校。甲子園に出場したこともあって、毎年のように“候補”に挙げられる。
シニア、ボーイズ出身の体格のよい選手たちで構成されたチームには、年によっては「プロ注目」も現れて、普通の高校野球のチームにとっては、脅威の一角となっている。
そんな、ごく“普通の高校”が、その日の相手だった。
ベンチ入りの20人に満たない野球部員。その半数が1年生ということは、“単独チーム”としての出場権を得るために、みんなで一生懸命生徒の中から経験者を探し、頼み込んで、ようやく“10人超え”にこぎつけたのではないだろうか。そんな想像が湧いた。
高校野球の体感を持たない指導者がいる時代。
試合前のキャッチボール。
強豪チームの選手たちがグラウンドいっぱいを使って、90m近い遠投を繰り返したあと、普通の高校の選手たちのキャッチボールは、塁間より向こうへ距離を広げない。それでも大きな破綻はなくて、ちゃんと“身の丈”の野球をしていることに好感が持てる。
シートノックはどうなるんだ。
各ポジションにほぼ1人。キャッチャーのしなやかな腕の振りと、スピンの効いたスローイングがボール回しの第1投。心配していたノックが、これで締まった。
むしろ、ノックバットを振るう監督さんのスイングのほうが怪しい。そのぎこちなさから推しはかるに、硬式野球の経験はなさそうに見える。
高校野球の体感を持たない指導者が、高校野球を率いる時代。そういう時代にさしかかっているのかもしれない。