錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER

快進撃の端緒となった相手に不戦敗。
ハレ大会優勝のメイヤーと錦織の因縁。 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byHiromasa Mano

posted2016/06/27 07:00

快進撃の端緒となった相手に不戦敗。ハレ大会優勝のメイヤーと錦織の因縁。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

芝の前哨戦となるはずだったゲリー・ウェバー・オープンを脇腹痛により棄権した錦織。ウィンブルドンへ向け、休養十分となった。

8年前にすれ違った錦織とメイヤーの運命。

 錦織が18歳で劇的なツアー優勝を果たした2008年のデルレービーチ……錦織の年表を作るなら、どんなに端折っても必ず書き込まなくてはならない大会だが、その1回戦の相手がメイヤーだった。当時244位の錦織は予選を勝ち上がり、66位との一戦に挑む。それまで80位以内の選手には勝ったことがなかった。しかし第1セットを6-0で奪うと、最後はメイヤーの第2セット途中棄権というかたちで記念の勝利を手に入れる。これが始まりだった。その週の最終日に当時世界12位のジェームズ・ブレークを破るまでの快進撃、そして今日まで続く道のりの──。

 一方のメイヤーは棄権の原因となった足の故障を引きずり、5月以降のシーズンを棒に振った末、450位までランキングを落とした。

 錦織は過去の試合に関しては1年前のことですらほとんど記憶していないから、8年も前の1回戦のことなど覚えているとは思えないのだが、本人の意識にかかわらず、ツアーはこのようにそこかしこに因縁が転がっている。

ふたりとも輝きを放つニューカマーだった。

 またメイヤーは、21歳だった'04年シーズン末にATPアワードの中の〈ニューカマー・オブ・ザ・イヤー〉を受賞しているが、錦織もまさにデルレービーチで大ブレークした'08年に同じ賞をもらった。

 1990年に始まったこの賞の歴代受賞者を見れば、センセーショナルなデビューから期待通りにトッププレーヤーへと成長することがいかに困難かわかる。フェデラー、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マレーの名前がないことでケチがつきそうな賞ではあるが、彼らが最初にブレークした年にはそれぞれもっとニューカマーにふさわしく初々しい輝きを放った選手がほかにいたのだろう。そういうわけもあって、〈ニューカマー~〉からのちにトップ3入りしたのは'03年に17歳で受賞したナダルが最後。3年前からこの部門の名称が〈スター・オブ・トゥモロー〉に変更されたが、そこには関係者全ての願いが込められているように思われる。

 ちなみに'04年以降の顔ぶれと最高位はこうなっている。メイヤー(18位)、ガエル・モンフィス(7位)、ベンジャミン・ベッカー(35位)、ジョーウィルフライ・ツォンガ(5位)、錦織(4位)、ホレイショ・ゼバロス(39位)、トビアス・カムケ(64位)、ミロシュ・ラオニッチ(4位)、マルティン・クーリザン(24位)、イリ・ベセリ(35位)、ボルナ・チョリッチ(33位)、そして昨年がアレクサンダー・ズベレフ(28位)。

 受賞時の年齢は18歳から25歳までさまざまで、顔を思い出せない選手もいる中、ランキングでは錦織とラオニッチの4位が最高、グランドスラム成績では錦織とツォンガの準優勝が最高だ。総合的に見て錦織が最高の成功者であることは言うまでもない。

【次ページ】 期待薄のウィンブルドンでこそ奇跡が起きる!?

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