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本田圭佑がホルンの監督解任を語る。
「今回は結果出せたバージョン(笑)」

posted2016/06/12 11:30

 
本田圭佑がホルンの監督解任を語る。「今回は結果出せたバージョン(笑)」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

本田圭佑のサッカー選手と経営者と教育者というマルチタスクは、今も深化している。

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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Takuya Sugiyama

 2015年12月末。本田圭佑は、アメリカ・ロサンゼルスにいた。

 スクール事業、そしてプロクラブの経営者としての顔も持つ男。ここ数年、急速にビジネスワークへの力を強めている本田がそこで語った、2016年への思い。ミランでの奮闘、日本代表の進化と、サッカー選手である自らが関わるべき事柄を並べたあと、最後の一言はこうだった。

「ホルンのリーグ戦優勝、そしてオーストリア2部昇格。これは絶対に果たさないとあかんことやから」

 あれから約半年が過ぎた、6月。ホルンは見事オーストリア3部で優勝を飾り、2016-17シーズンの2部昇格を決めた。

 優勝よりも先に、昇格はすでに決定していた。

 5月中旬、ホルンと首位争いをしていたファースト・ビエナFCに、リーグ側が来季の2部昇格に必要なライセンスを認可しない決定が下された。昇格は1位のみの一枠で、実質この2チームのデッドヒートとなっていた争いは、思いもよらない形で決着を見たのだった。

本田はオーストリアの片田舎の“黒船”だった。

 シーズン終了まで、残すこと4試合。

「最後まで、選手たちには優勝目指して楽しんで戦って欲しい」

 実質オーナーの本田が送ったこの言葉通り、ホルンはそのまま最後まで首位の座を明け渡すことなく、6月3日に優勝した。

 経営に関わり始めた最初のシーズン。人口約6千人というオーストリアの片田舎のクラブに、いきなり日本人が現れた。今でも、“黒船”のようにクラブにやってきた本田たちを、心良く思わない人たちはいるという。

 本田たちが掲げたのは、地元への順化とグローバルな視点という、ある意味両極端な哲学だった。「あくまでオーストリアの人や選手をベースにしたチーム」。本田は初めてホルンを訪れた昨年7月、地元の人たちの前でそう語りかけた。

 と同時に、こうも言い放った。

「1年で2部に昇格し、5年でチャンピオンズリーグ出場を目指す」

【次ページ】 ホルンはこれまで、集いの場だった。

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