ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
八重樫「生き残りました」の初防衛。
内山敗戦で気づいた崖っぷちの心。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2016/05/10 11:20
目は腫れ、まさに満身創痍。八重樫の戦いはいつもスリリングだが、それとはまた異なる危うさの試合だった。
大一番の直後の試合は、八重樫にとって鬼門。
八重樫にとって11度目の世界タイトルマッチは、けがを抜きにしても難しい試合だった。長年コンビを組み続ける松本トレーナーは、試合が決まった当初から、八重樫の“心”を最も心配していた。
「昨年の暮れに3階級制覇を達成して、前回とまったく同じ気持ちを作れと言われても難しい。大一番だったロマゴン戦の次の試合、ゲバラ戦ではそれができなかった。同じつもりでやっていても、やっぱり同じじゃなかった。あの子は心が一番の持ち味だから、そこを作らないと始まらない」
八重樫は'14年に世界ナンバーワンとの呼び声高い“怪物”ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)を迎え、健闘むなしく9回TKO負けを喫した。ゴンサレスとの対戦を見据え、半年以上も怪物退治に執念を燃やした。その4カ月後に行われたペドロ・ゲバラ(メキシコ)とのWBC世界ライトフライ級王座決定戦は、八重樫が有利と見られていたが、ゲバラのボディブローに沈むという、まさかの結末に終わった。
今回はゲバラ戦と状況が似通っていた。昨年暮れのハビエル・メンドサ(メキシコ)戦は3階級制覇がかかっていたし、何より八重樫には「(一度失敗した)ライトフライ級でもやれるところを見せたい」という高いモチベーションがあった。今回、格下とも言えるテクアペトラを迎えるにあたり「いかに心を作るか」は“激闘王”の異名を持つチャンピオンにとって最大のテーマだったのである。
家族と離れ、報道陣を振り切って集中に専念。
八重樫のパフォーマンスは過去の世界戦と比べても、かなり悪い部類に入るだろう。では、本当に“心が作れ”なかったのか。八重樫自身は次のように分析した。
「フワっとしたところはなかったですね。うまくいかないことが続いても、じゃあこうしよう、じゃあこうしよう、というふうに考えながら戦うことはできた」
左肩を負傷し、万全のコンディションを作れなかった八重樫を助けたのは、綿密に作り上げたメンタルだった。いつも通り家族のもとを離れて一人暮らしを実行した。計量後は、取材待ちをしている報道陣を振り切るように会場をあとにした。「集中したかったんだと思う」と説明したのは松本トレーナーだ。メディアにサービスのいい八重樫があのような姿を見せるのは初めてだった。