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桃田賢斗、田児賢一が語っていた“運”。
当時、近くにいた人間の悔恨と回想。
text by
鈴木快美Yoshimi Suzuki
photograph byAFLO
posted2016/04/18 10:40
桃田賢斗は、日本バドミントン界における希望の星だった。バドミントン界が失ったものはあまりにも大きい。
田児「運をね、鍛えているんですよ」
その田児がギャンブルを覚えた頃、彼は本当に“競技のため”と思っていたか、少なくとも思い込もうとしていたように見える。
「オレはバドミントン以外のことにあまり興味がない。お酒も飲まない、たばこも吸わない、服もない。ギャンブルはちょっとするけど、それだってバドミントンのことを考えてやってますよ」
だが、やがて田児は利用していたはずのギャンブルに呑まれていった。海外でのカジノ通いが盛んになると、こんな発言が目立った。
「運をね、鍛えているんですよ」
桃田の「ギャンブルに興味」発言の裏側にあるもの。
桃田の「勝負の世界にいるのでギャンブルに興味があって」という会見での発言に関し、「スポーツマンシップに欠ける」という批判があった。
スポーツとギャンブルを結びつける発言内容は、もちろん批判されてしかるべきだ。しかし桃田の感覚では、自分のプレーと重なる部分もあったのだろう。ギャンブルでも試合でも、イチかバチかのプレーで勝負に打って出るときの心の持ちよう、勝ったときの高揚感が似て感じられたのかもしれない。
確かにトップのスポーツ選手には、奇跡と思えるような、たとえばネットに絡んだシャトルが一瞬の間のあと、相手コートに入るといった展開で勝利を手にした経験が数えきれないほどあるはずだ。
しかし、彼らに勘違いしてほしくなかったのは、それは奇跡や運のよさではないということだ。試合において、勝利は運ではなく彼らのプレーによってしかもたらされない。「運」が勝負を分けるのは、心技体を地道に磨いたずっと先のことなのだ。