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桃田賢斗、田児賢一が語っていた“運”。
当時、近くにいた人間の悔恨と回想。
text by
鈴木快美Yoshimi Suzuki
photograph byAFLO
posted2016/04/18 10:40
桃田賢斗は、日本バドミントン界における希望の星だった。バドミントン界が失ったものはあまりにも大きい。
田児と桃田には、違いがあったのではないか。
ただ、田児と桃田の間に違いがあるとも思うのは、桃田が途中で、地道さこそがアスリートの原点だと気づいた節があるからだ。会見では、こう話している。
「全日本総合の決勝で負けてから(2014年12月)自分の中で何かが変わり、ちゃんと自分と、バドミントンと向き合って世界のトップと対等に戦いたいと思った。で、(2015年)1月からは行かなかった」
2015年1月の時点で、桃田の世界ランキングは13位。そこから1年、世界選手権3位など日本シングルス男子の歴史を塗り替えながら、桃田の世界ランクは2位まで急上昇した。
罪は罪としてあり、赤裸々な流出写真には目を背けたいものもある。しかしこの1年間の努力を見たとき、桃田はアスリートの本分を取り戻しているように感じてしまうのだ。
2人は、そのプレースタイルも特別な選手だった。
田児賢一と桃田賢斗。
5歳違いのふたりのプレーには、はっきりとしたスタイルがある。
ともに試合の流れを読み取る感性に富み、勝負所を見極めて勝ちにいく心技体がある(田児は「あった」か)。そういった選手は世界でも多くない。
とりわけ桃田が試合終盤の際どい場面で見せてきた、イチかバチかのプレーを成功させて勝ちを重ねるスタイルには圧倒的な華がある。
2006年のルール変更以後、選手の個性が発揮されづらくなったバドミントン界において、確かに特別な選手だった。