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パッキャオの戦いは常に痛快だった。
遂に引退した「英雄」の壮絶な歴史。 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byAFLO

posted2016/04/12 07:00

パッキャオの戦いは常に痛快だった。遂に引退した「英雄」の壮絶な歴史。<Number Web> photograph by AFLO

史上2人目の6階級制覇よりも、そのファイトスタイルこそがファンの心を掴んだ。パッキャオこそはまさに“記憶に残る”ボクサーだった。

日本人ボクサーにとっても、特別な存在だった。

 中でも、日本での人気は高かった。それは日本人にとって、パッキャオが身近で親しみの持てる存在だったからだと思う。我々が慣れ親しんだ東洋太平洋王座を獲得し、世界的には“場末”とも言えるような後楽園ホールのリングにも上がったことがある。

 日本人とさして変わらない体格、さして変わらない風貌のパッキャオが、まばゆいばかりのラスベガスのリングで戦う姿に、多くの日本人ファンが勇気づけられた。とりわけ日本のボクサーに絶大な影響を与えた点は特記すべきことだと思う。

「ラスベガスで試合がしたい」

 海外からは内弁慶と言われがちな日本人ボクサーが、次々とそのようなセリフを口にするようになった。一昔前なら考えられなかったことである。

 我々はもうパッキャオの新たな試合を目にすることができない。仮に復帰するとしても、それは残念ながら多くの人々の脳裏に焼き付いている、あのパッキャオとは似て非なるものであろう。これからは第2のパッキャオの出現を心待ちにしたい。それが日本選手かもしれないという大きな期待を込めて。

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