ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
スターが連続離脱の新日本プロレス。
繰り返されてきた危機と再生の歴史。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2016/03/30 10:40
入門してからしばらく、棚橋弘至は武藤敬司の付き人を務めていた。この偶然も興味深い。
棚橋弘至は、暗黒期に差した一筋の光だった。
新日本の2度目の危機は、黄金の'90年代が終わったあとに訪れた。
2001年に闘魂三銃士の一角、橋本真也が引退騒動のゴタゴタを経て、新団体ZERO-ONEを作ることで独立。さらに2002年1月には、新日本のオーナー猪木が推し進める格闘技路線に反発し、人気ナンバーワンの武藤敬司が離脱。このときは小島聡、ケンドー・カシンという人気レスラーだけでなく、新日本の主力フロントスタッフ5名を引き連れての全日本への移籍だったため、ハードとソフト両面で新日本に大打撃を与えた。
この武藤一派離脱直後、新日本に一筋の光が差し込む。それが棚橋弘至の存在だ。
2002年2月1日の新日本プロレス札幌大会で、猪木がリングに上がり、主力選手たちにこの危機へ立ち向かう覚悟のほどを問う、通称「猪木問答」が行われた。
猪木が中西学、永田裕志、鈴木健三(現・KENSO)、棚橋弘至の4人ひとりひとりに対し、「おめぇは怒ってるか? 何に対してだ!」と迫る中、棚橋は質問には答えず「俺は、新日本のリングで、プロレスをやります!」と宣言。さらに猪木がみんなにビンタを見舞うと、棚橋だけは張られたあと、猪木をまっすぐ見据えて睨みつけた。
このあと数年間、新日本は"暗黒期"と呼ばれるほど低迷するが、棚橋は2006年に初めて新日本のトップの証であるIWGPヘビー級のベルトを腰に巻くと、“猪木イズム”との決別を推し進め、ついに新日本プロレスに前代未聞の繁栄時代をもたらすことに成功したのだ。
闘魂三銃士と棚橋弘至には共通点がある。
このように、これまで新日本プロレスは、中邑真輔やAJスタイルズの離脱どころではない大ピンチを乗り越えてきた。しかし、これをもって「新日本は離脱者が出ても、必ず新しいスター選手が現れてきたから大丈夫」と、単純に楽観視することはできないだろう。
1984年と2002年、2度の大量離脱を救った闘魂三銃士や棚橋弘至のようなレスラーは、まさに10年、20年に一度の逸材であり、そう簡単に出てくるものではないからだ。
しかし逆に言えば、トップレスラーが離脱したピンチでなければ、さらなる繁栄をもたらす本当の救世主、ニュースターは現れないともいえる。
闘魂三銃士と棚橋弘至、どちらも共通するのは、どん底の時代を経験しながらも未来を信じ、「これからは俺の時代だ」と、自分を信じることができる人間であったということだ。
これは「世の中が乱れ、混乱したときこそ俺の出番!」と言った、かつての猪木も同様。
それだけの危機感、覚悟、そしてある種のナルシシズムを持ったレスラーは、はたして現れるのか?
プロレス界の未来は、そこにかかっている。いまこそ、新日本プロレスを刮目して見よ!