オリンピックへの道BACK NUMBER
全英OP制覇、世界選手権メダル……。
日本バドミントン、驚異的躍進の背景。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byXinhua/AFLO
posted2016/03/21 10:30
昨年末のワールドスーパーシリーズファイナルズで、桃田賢斗と奥原希望それぞれが日本人初のシングルス優勝を果たした時の2ショット。
海外遠征の日数は、ゆうに200日を超える!
この年、さまざまな制度が取り入れられた。
まず、実業団チームに内定している現役高校生が、内定チームから日本リーグに出場することが認められた。
ナショナルチームの下には、バックアップチームも創設。メンバーには中学、高校生の有望選手も選出し、ナショナルチームと一体となって強化を図ってきた。
さらに、シニア、ジュニアともに国際大会に頻繁に派遣する体制も整えた。シニアの場合、それまでは年間に数大会に出場するにとどまっていたというが、現在では海外遠征の日数はゆうに200日を超える。
「上の世界」に飛び込んで意識改革を促す。
それら強化策の根底は、共通している。選手に、今の自分より高いレベルを経験させる意図だ。「背伸び」をさせると言い換えてもいい。「上の世界」を見せることで刺激を与えようとしたのだ。
その中で選手たちは技術を学んでいったし、意識も変化した。漠然と上位を目指そうというのではなく、ジュニアならシニアの選手に追いつきたい、シニアなら世界で勝ちたいと具体的にイメージを描くようになった。以前、大堀はこう語った。
「すごいと思っていた選手たちに勝ちたいという気持ちになってきました」
桃田も、中学生の頃から格上である高校生と当たり前のように練習し、勝負していた。「強い選手から盗みたい、勝ちたいという気持ちは強かったです」と振り返っている。高い目標に本気で取り組むようになれば、練習へ向かう姿勢、いや競技への姿勢自体が変わる。
全体の底上げを図る一方で、やはり2004年、ナショナルチームのヘッドコーチに韓国から朴柱奉氏を招いたことが奏功した。元五輪金メダリストであり世界のトップクラスで活躍してきた朴氏もまた、そうした意識改革の推進役になった。同時に、日本代表合宿での練習でも技術指導などさまざまな面で影響を与えた。それはシニアのみならず、一体となって強化を図るジュニアにも波及していった。