野球クロスロードBACK NUMBER
オリックス・吉田凌の“昭和の精神”。
自己犠牲は時代錯誤か、大投手の証か。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/03/17 10:50
背番号1ではない投手が高校からいきなりプロ入りするのは実はとても珍しい。吉田凌はどんなキャリアを歩むのだろうか。
東海大相模時代は「小笠原と一緒に1試合を抑える」。
東海大相模時代から、吉田は様々なプレッシャーを背負い続けながら投げてきた。
2年生だった2014年夏の神奈川大会決勝、大会タイ記録となる20奪三振という衝撃的な快投を演じたことで吉田は眩いばかりの脚光を浴び、野球ファンならば誰もが知るほどの期待を背負う存在となった。
新チームとなった秋季大会以降は、故障から復帰した小笠原が最速150キロのストレートを武器に「高校ナンバーワン左腕」と吉田以上の注目を集めることになったが、「背負う」という姿勢は不変だった。吉田は常にこう言い続けていた。
「1年生から小笠原とずっと一緒にやってきて、『ふたりで1試合を抑える』と助け合ってきたんで。なんとしても日本一で終わるためだけに苦しい練習をしてきたんです」
甲子園で4回途中3失点KOも、準決勝でリベンジ。
チームと球友、悲願の日本一……多くの期待に応えなければ、と背負い続けることの重みを痛切に感じたのが、甲子園準々決勝の花咲徳栄戦である。
4回途中3失点でKO。「ひとりで投げなくてはいけなかったのに打たれて」と、感情を抑えきれずベンチで涙を流した。この試合にチームはサヨナラで勝利したが、吉田は「申し訳ない」と、終始唇を噛んでいたものだ。
次に、次に。頭では気持ちを整理しようとしても、不甲斐ない投球をしてしまった試合が脳裏をよぎる。チームメートから「切り替えろ」と励まされ「前を向くことができた」と言ったものの、たどり着いた答えは、やはり背負い続けて投げること。「前回の分も1球、1球、全力で投げる」だった。
準決勝の関東一戦で再び先発マウンドに上がった吉田は、7回1失点で汚名返上を果たす。そこで発した言葉こそ「体がどうなってもいい」だったのだ。その真意とは、本人の言葉を借りればこうなるだろう。
「門馬(敬治)監督から『日本一になるために呼んだ』と言われて高校に入ったからこそ、なんとしても日本一になりたかったんです」
大願成就のためなら、粉骨砕身の精神で投げ続ける。決勝の仙台育英戦での登板はなかったが、延長戦からフル回転するための準備はしていたと、日本一達成後の囲み取材で吉田は満面の笑みを見せていた。